日本は「安全で良い人ばかり」 来日18年の元J助っ人、愛息を千葉の強豪校に入学させた理由
サッカー・Jリーグで通算7年間プレーした助っ人DFが、今年から日本の高校生を指導している。元ブルガリア代表DFイリアン・ストヤノフは28歳だった2005年に初来日。名将イビチャ・オシム監督率いるジェフユナイテッド千葉でタイトル獲得に貢献すると、サンフレッチェ広島、ファジアーノ岡山と渡り歩き2011年限りで現役を引退した。
イリアン・ストヤノフと日本サッカー第1回、来日の経緯と高校年代の育成
サッカー・Jリーグで通算7年間プレーした助っ人DFが、今年から日本の高校生を指導している。元ブルガリア代表DFイリアン・ストヤノフは28歳だった2005年に初来日。名将イビチャ・オシム監督率いるジェフユナイテッド千葉でタイトル獲得に貢献すると、サンフレッチェ広島、ファジアーノ岡山と渡り歩き2011年限りで現役を引退した。
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その後も日本に住み続けるストヤノフは、今年から兵庫県淡路島にある相生学院高校サッカー部のコーチに就任。異国の文化に馴染んでいる元ブルガリア代表DFは、長年関わってきた日本サッカーをどのように見ているのか。来日の経緯とともに、母国ブルガリアの事情を引き合いに出しながら高校年代の育成について語った。(取材・文=加部 究)
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30周年を迎えたJリーグの歴史の中で多くの外国人選手たちが参戦し、その大半が母国へ帰って行った。しかし元ブルガリア代表のイリアン・ストヤノフは違った。ジェフユナイテッド千葉で2年半、サンフレッチェ広島で3年半、さらにはファジアーノ岡山で1年間プレーしてユニフォームを脱いだ後も、日本に住み続けている。
今年は息子が流通経済大柏高校へ入学し、同じタイミングで自身は兵庫県淡路島にある相生学院高校のコーチに就任した。
「高校3年間というのは、人生で凄く大切な時期です。僕も中学までは小さな田舎町のキュステンディルで過ごしました。それから首都ソフィアにあるスポーツ高校に通うようになり、とてもハードな3年間を送ったんです」
トップレベルの選手たちがスポーツ専門の高校から育っていくという点で、ブルガリアの事情は日本と似ているそうだ。
「当時ブルガリアには、たくさんのスポーツ高校がありました。サッカーだけではなく、バレーやバスケットなど様々な競技の強化を図っていて寮も完備してある。ここでは毎日トレーニングが授業に組み込まれていて、月・水・金曜日は2部練習でした。午前は10時半からトレーニングをして、食事を挟んで2度目のトレーニング。僕は高校で凄く頑張ったから、卒業してすぐにプロになれたんです」