116連勝中の19歳、レスリング藤波朱理の原点 父と兄の背中を追う自然体の競技人生
中学に上がり優勝できないことが大きな転機に
レスリングを続けているうちに徐々に頭角を現し、年代ごとの全国大会に出場する。それらの大会で上位の成績を収めるようになっていった。
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ただ、今日の姿からすれば、圧倒的というわけではなかった。中学生になってからは準優勝や3位といった成績で終える大会が続いた。大会では学年が上の選手とも戦うことがある。シニアになってからよりも1年の差は大きいから、年長の選手と当たれば負けることがあるのはやむを得なかったかもしれない。ただ、本人はそう思っていなかったこと、優勝しきれないことが、大きな転機となったことを次の言葉が示唆する。
「当時、勝てなかった相手がいて、どうしても勝ちたい、どうしても勝とうと練習に取り組んでいました。その選手に勝てた時、自信を持つことができてここまで来たような気がします」
藤波は「自分がどういう人間であるのかを自分で説明するのは難しいんですけど」と言ったあと、こう続けた。
「あまり顔には出ないんですけれど、人には負けず嫌いと言われます」
アスリートは誰しも負けず嫌いであると言われる。ただ、毎日の練習でもそれを貫ける、つまり負けたくないから怠けることなく日々努力できるアスリートばかりではない。藤波は努力し続けられるほどに負けず嫌いだったのだろう。
壁を破ったあと、藤波はあらゆる大会で優勝を続ける。
それとともに視野に入る世界は広がっていった。五輪の位置づけもその1つだ。
「これもいつからとか、何かあって、というのは記憶にないんですけれど、いつしか自然に、オリンピックへの憧れは持っていました」
五輪の中でも藤波が強く記憶している大会がある。中学1年生だった2016年に行われたリオデジャネイロ五輪だ。
「登坂絵莉さんの逆転での金メダルだったり、伊調馨さんの逆転金メダルだったり。よく覚えています」