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高校サッカーの名門“市船”の重みとシゴキ 北嶋秀朗「すべて肯定するわけではなく…」

仲間とすべてを乗り越えるからこそ「高校サッカーは強い」

 3年生で挑んだ選手権、決勝戦は桐光学園の中村俊輔との対決がクローズアップされたが、北嶋本人は市船を勝たせるためだけに必死だったという。その年の関東大会では県予選ベスト16で敗退していた。選手権で自らのゴールで優勝するしか、示しがつかなかったのだ。

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「俊輔がどうとかよりも、市船の仲間への思い、団結力が強かったですね」

 北嶋は言う。

「その一体感はなかなか味わえないもので。プロになってから、同じものは味わっていないですね。プロは個人事業主で、それぞれやっているところはどうしてもあって。あの時代の高校サッカーのいいところって、みんなでガーって夢中になって、ビッグな目標に向かっていくんです。良いこと嫌なことひっくるめて、すべて乗り越えて、そこで育まれるものがあるからこそ、高校サッカーは強い。自分がやんなきゃ、ってなった時にストライカーは強いですよ」

 市船は優勝し、北嶋は得点王に輝いた。責任感を背負い、ゴールを決める。重圧のかかる戦いで、彼自身も才能を爆発させたのだ。(文中敬称略)

【第2回】「才能がない」と悟った北嶋秀朗の決断 超高校級FWに衝撃受けた市立船橋での分岐点

【第3回】高校サッカーが生む「怪物FWいる」 北嶋秀朗も実感、選手権の力とカオスな部活の環境

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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