一度はバスケを「辞める」と言った田中大貴 人生を変えた高3の出会いとポジティブ思考
東海大では関東大学リーグ戦でチームを7年ぶりの優勝に導き、自身は2年連続MVP&MIPを獲得したり、アルバルク東京ではBリーグ2連覇の他に、新人王、シーズンMVP、ファイナルMVP、ベスト5に選出されたり。日本代表では10年プレーし、2021年東京オリンピックは渡邊雄太(ブルックリン・ネッツ)とともに主将を務めた。現在はアルバルク東京で4シーズンぶりの頂点を目指す田中大貴は、日本バスケットボール界を語る上で欠かせない人物の一人でもある。
長崎西では3年で主将を務めるもインターハイは県予選で敗退
東海大では関東大学リーグ戦でチームを7年ぶりの優勝に導き、自身は2年連続MVP&MIPを獲得したり、アルバルク東京ではBリーグ2連覇の他に、新人王、シーズンMVP、ファイナルMVP、ベスト5に選出されたり。日本代表では10年プレーし、2021年東京オリンピックは渡邊雄太(ブルックリン・ネッツ)とともに主将を務めた。現在はアルバルク東京で4シーズンぶりの頂点を目指す田中大貴は、日本バスケットボール界を語る上で欠かせない人物の一人でもある。
【前編】次世代に繋ぐ国際大会の経験 前代表主将が考える“継続性”の大切さ / バスケットボール 田中大貴選手インタビュー(GROWINGへ)
【後編】大歓声は「選手冥利に尽きる」 前代表主将を奮い立たせる応援の力 / バスケットボール 田中大貴選手インタビュー(GROWINGへ)
だが、もし別の道を歩むことを選んでいたら、こうした功績が何一つ実現しなかったかもしれない、重要な岐路があったという。それが高校3年の初夏、インターハイ県予選が終わった後だった。
地元・長崎の強豪、長崎西高では1年生からレギュラーとして活躍。1年生ではウインターカップ、2年生ではインターハイとウインターカップに出場し、全国でも知られる存在となりながら実力と自信を深めていった。満を持して迎えた最終学年。主将を務めた田中はインターハイとウインターカップの連続出場を目指して仲間ともにボールを追ったが、6月に行われたインターハイ県予選では決勝に進むこともできなかった。
「目指していたインターハイに出場できなくて、その時は1回、バスケットボールを辞めようと思いました。大学に進んで競技を続けたいと思ってはいたんですけど、インターハイに出られなかったことで、その道が閉ざされたんじゃないかと落ち込んで『辞める』と言ったんです」
親元を離れて寮生活をしながら、全てを懸けて努力し続けたが目標に届かず。多感な思春期のど真ん中とあって、人生のどん底に突き落とされたかのような想いがした高3男子の気持ちは察するに余りある。その場の勢いでバスケットボールを辞めかねなかった田中を、周囲の冷静な目が引き止めた。
「自分の親だったり、高校の先生だったり、先生の奥さんだったり、そういった方々に引き止めてもらいました。今考えると、本当にありがたかったと思います」
高校時代の監督、後藤慶太氏は自宅近くの寮も管理し、妻が寮生の食事など生活面を支えた。両親、そして第2の両親の気持ちに打たれ、競技を続けることにした田中だが、この頃、もう一人の重要な人物とも出会った。それが東海大男子バスケットボール部の陸川章監督だ。