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結婚、コミュニティ運営、指導者の夢 女子ラグビー鈴木彩香が引退後も切り拓く道

7人制と15人制の日本代表で長く活躍しW杯にも出場した【写真:Getty Images】
7人制と15人制の日本代表で長く活躍しW杯にも出場した【写真:Getty Images】

ラグビーを始めた頃は「周りは男の子しかいなかった」

 横浜・汐入小学校時代に出会ったタグラグビーが、人生を大きく変えることになった。タグラグビーは、タックルの代わりに個々の選手が腰に付けた細い帯状の「タグ」を奪い合いながらトライを目指すラグビー入門者向けのゲーム。小学生世代では全国大会も開かれているが、そのボールを繋ぎ、トライを奪い合うスポーツに魅せられた。中学では陸上部だったが、平行して当時黄金時代を迎えていた関東学院大ラグビー部のスタッフ、OBらが携わる15人制ラグビーのクラブチーム「釜利谷クラブ」に参加したことで、本格的な楕円球の世界に飛び込んだ。

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「今はかなり激変しましたが、私がラグビーを始めた頃は、周りは男の子しかいなくて、そのなかで一緒にラグビーをやっている女子選手が多かったと思います。私自身も小学生までは男子のなかで一緒にやっていましたし、中高と陸上競技をやっていた。ラグビーに集中できる環境は整っていなかった。そのなかで、日本代表という存在が段々自分のなかで大きくなり、先輩方がラグビーをしながら、仕事もして充実している、キラキラしている姿を見て、すごく格好いいなと思ったのを覚えています。そういう先輩方が築き上げた、日本代表を自分自身が継承して、次の世代に繋げないといけないという使命感が、その時に芽生えたと思います」

 男の子に混ざってタグラグビーを楽しんだ少女は、神奈川・鶴見高3年で23歳以下の7人制日本代表に選ばれて世界的な大会「香港セブンズ」に出場。関東学院大に進むと15人制、そして7人制と正代表入りして、日本の若き中心選手として成長を続けた。今以上にマイナー競技だった女子の代表戦、合宿などで目にした彩香さんのプレーは、チーム内で際立って視野が広く、的確な判断力でパス、ランを選び、スピード、ステップなどの個人技も抜群だった。安易な形容をするなら“女・平尾誠二”。まだまだ成長段階の競技のなかで、そのプレーは新しい時代の女子選手の姿を示していた。

 引退会見で、今やりたいことを聞かれて「本当に思うのは焼肉を食べたいですね。食を我慢して、お酒も好きですが我慢してきたので」と会場を笑わせたが、新聞記者として初めて1対1でインタビューした時を思い出す。彩香さんが大学生だった時に地元のJR某駅近くの喫茶店で話を聞いたが、取材はさておきランチをぺろりと片付けると、遠慮がちに「ケーキもいいっスか」とデザートも一気に平らげた。取材の内容は忘れたが、大物感を印象付けたその食べっぷりだけが鮮烈に記憶に残っている。

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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