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人生を変えた就活中の出会い 自転車ロード中根英登を「プロになる」と決意させた言葉

高校までサッカーをしていた中根英登、中京大で本格的に競技を始めた【写真:松本行弘】
高校までサッカーをしていた中根英登、中京大で本格的に競技を始めた【写真:松本行弘】

大学時代に欧州で味わった挫折が中根を突き動かす

 父の賢二さん(58歳)はロードレースで学生時代から活躍し、愛三工業株式会社(本社・愛知県大府市)で自転車競技部をプロ化させた中心人物だ。その愛三レーシングはUCIアジアツアーを主戦場にする国内有数のチームとなり、賢二さんはプロジェクトマネージャーを務める。

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 中根は高校3年の時、サッカーの全国高校総体(インターハイ)愛知県地区予選で敗退した翌週、ぶっつけ本番で自転車の予選に出場した。自転車ロードレースの漫画『Over Drive』にハマったサッカー仲間とともに、父から少し教わっていたのと、「自転車なら全国に出られるかも」と言われたからだ。そしてインターハイに出場した上に、上位に入ってしまった。そして中京大体育学部(現・スポーツ科学部)へ入学し、自転車競技部に入った。

 こんな経緯で大学からロードレースの練習を本格的に始めた。負けず嫌いの性格。「当時は強くない部だったので、練習でも勝てると楽しくなるし、どうせなら学生日本一になりたくなる。強い後輩が入ってきて刺激を受けたのも大きかった」。

 国内ではすぐに好成績を残せるようになったが、大学1年の春休みから毎年参加した「チームユーラシア」や「チームNIPPO」では、欧州のレースに出場しても歯が立たなかった。

「いきなり学生の全国トップ10に入って、ちょっと調子に乗っちゃいますよね。こんなもんかって。サッカーをしていたので、ヨーロッパのリーグに憧れがあって、自転車だけど嬉しいとか思って行ったんです。それでアマチュアレースを経験させてもらったら、完走すらできなかった。ただの一度も。鼻をへし折られました。そこが僕の基準になった」

 欧州で通用しないという挫折感も、中根を就活に向かわせていた一因だったかもしれない。

 だが、採用担当者からの言葉で思い直し、大学4年の年末に“プロになる”と決心した後、欧州で味わってきた経験が原動力になった。

「衝撃すぎて、こんなんじゃダメだ、こんなんじゃと、日本に帰ってもトレーニングで常に思っていました。そのままずっと、つながっている感じ」

 大学を卒業後、チームNIPPOで1年間、欧州のレースを走った後、帰国して愛三レーシングに3年間所属。2017年にUCIカテゴリーで上から2つ目のイタリアを拠点にするチームへ移籍して、再び欧州へ。3年間の経験を積んで、2020年にフランス拠点のチームに移り、初のステージ優勝を果たし、翌年にトップカテゴリーのUCIワールドチームへ。新城や別府らは高卒後に渡欧して才能を本場で伸ばしたが、中根は日本の大学ロードレース界から階段を1つずつ登るように頂点へたどり着く、新しい道を切り拓いた。

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