4番でエースだった熊代聖人が“主役”を辞めた日 自分を押し殺し、貫いた12年+3年間
今も強い地元・愛媛への思い「将来的には…」
今回の取材前、熊代はいまも地元への思い入れが強いと伝え聞き、嬉しくなった。話の中で盛り上がったのは、やっぱり高校野球に関すること。かつて「野球王国」と言われた愛媛も、近年は苦戦気味だ。
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「時代もあると思います。僕らの時代と違って、長時間練習もできない環境だと思うし、やりたい子が集まらなくなって野球人口も減っているのかな」
ちょっとだけ、寂しそうだった。「固定観念、常識を疑ってほしい」。置かれた環境が恵まれていなくても、必ずうまくなれる方法はあると信じている。
「これが正解というのはないので。今まで言われてきたことも『正解』ではなく、こういう方法があるというだけ。チームや子どもが合うものをチョイスしていけば、野球王国・愛媛は復活できるんじゃないかなと思っています」
元メジャーリーガーの岩村明憲氏が会長を務めるプロ野球愛媛県人会のメンバー。野球教室のほか、浅村、外崎らとの自主トレを今治球場で行うなど身近にプロ野球選手を感じてもらうためにできることをやってきた。
今は西武でコーチ業に100%の力を注ぐが、将来的には地元で、得たものを何かしらの形で還元したい考えもある。
「やっぱり、愛媛の人は温かいよね。自主トレなんかでも、こっちが恩返ししようとしてるのに逆にしてもらいすぎてるというか。だからこそ、将来的には帰りたいっていう気持ちもある。
何をするかは決めていないし、考えられない状況ではあるけれど、ゆくゆくは何かやりたいと思うと、パッと今出てくるのはやっぱり野球なので」
選手ではなくなるけれど、まだまだ西武で頑張ってほしい。と同時に、その先のことも同じ愛媛の同級生として楽しみになった。現役生活、心からお疲れさまでした。変な話だけれど、あの夏負けたことは僕の勲章です。
■熊代 聖人 / Masato Kumashiro
1989年4月18日生まれ。愛媛・久万高原町出身の33歳。今治西では3度の甲子園を経験し、「4番・投手」だった3年夏は近江(滋賀)との2回戦で投手として2安打完封。続く文星芸大付(栃木)との3回戦では好左腕・佐藤祥万(元DeNAなど)から9回に劇的な決勝ソロを放つなど投打の活躍で8強入りに貢献した。卒業後の2008年に日産自動車に入社し、内野手転向。同社野球部の休部に伴い移籍した王子製紙では外野を守り、10年ドラフト6位で西武に入団した。通算605試合に出場。22年シーズン限りで現役引退し、2軍外野守備・走塁コーチ就任が決まった。175センチ、77キロ。右投右打。
(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)