引退・熊代聖人、2軍落ちのあの日救われた先輩の言葉 万能戦士が歩んだレオ一筋12年
家族へ涙の感謝「毎日支えてくれて、ありがとう」
7回に代走から途中出場し、間もなくして第一子の長男が生まれたことを知らされた。すると同点の延長10回、2死一、二塁のチャンスで打席が回ってきた。「絶対、俺が決めたる」。益田直也の速球を右翼線に運び、劇的なサヨナラ打に。父になってからおよそ2時間30分後の出来事だった。
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「まさか自分にサヨナラの場面で回ってきて、代打も出ず、渡辺久信監督(現GM)がそのまま行かせてくれて。ゾーンに入っていた感じで、あの時は家族、息子が打たせてくれたかなと感じます」
11月の引退セレモニーでは、そんな家族に涙ながらに感謝した。「毎日支えてくれて、ありがとう」。息子2人から花束を受け取り、33歳で現役生活にピリオドを打った。耐えに耐えた12年の経験を、今後は後輩たちに還元する。
コーチ転身を決め、スーツ姿で練習前のナインにあいさつした時、恩人の栗山には足をかけてゆっくりと投げられ、土の上に転がった。選手時代、サヨナラ勝ちが決まった際などに見られた2人のお決まりのコミュニケーションだった。「スーツが!」と焦った直後、笑顔の栗山に「明日からできへんから」と言われ、コーチとしての自覚が高まった。
「やりがいは凄くあるし、若い選手を何とかしてあげたい気持ちも強い。選手との距離感を大事にしつつ、本音でぶつかり合える、毎日の試合に高いモチベーションを持たせてあげられるようなコーチになりたいです」
■熊代 聖人 / Masato Kumashiro
1989年4月18日生まれ。愛媛・久万高原町出身の33歳。今治西では3度の甲子園を経験し、「4番・投手」だった3年夏は近江(滋賀)との2回戦で投手として2安打完封。続く文星芸大付(栃木)との3回戦では好左腕・佐藤祥万(元DeNAなど)から9回に劇的な決勝ソロを放つなど投打の活躍で8強入りに貢献した。卒業後の2008年に日産自動車に入社し、内野手転向。同社野球部の休部に伴い移籍した王子製紙では外野を守り、10年ドラフト6位で西武に入団した。通算605試合に出場。22年シーズン限りで現役引退し、2軍外野守備・走塁コーチ就任が決まった。175センチ、77キロ。右投右打。
(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)