一度は諦めた宇宙空間への想い パラリンピアン富田宇宙が体現する「レジリエンス」
宇宙のような広い心を持つように――。1989年2月28日。この世に誕生した元気な男の子に、富田夫妻はそんな願いを込めて「宇宙」と名付けた。その32年後、東京2020パラリンピック競技大会に出場し、競泳400メートル自由形(視覚障害S11)と100メートルバタフライ(同)で銀、200メートル個人メドレー(視覚障害SM11)で銅と3つのメダルを獲得した富田宇宙(EY Japan)は、「心はかなり広くなってきちゃっているけど、さすがに宇宙は広すぎますよね」と笑う。
名前の影響を受け、宇宙飛行士になることを目指すも…
宇宙のような広い心を持つように――。
【前編】スポーツが持つ「エモーショナルな力」 パラ銀メダリストの生きがい / パラ競泳 富田宇宙選手インタビュー(GROWINGへ)
【後編】銀メダリストが語るパラスポーツの価値 選手の「レジリエンス」とは / パラ競泳 富田宇宙選手インタビュー(GROWINGへ)
1989年2月28日。この世に誕生した元気な男の子に、富田夫妻はそんな願いを込めて「宇宙」と名付けた。その32年後、東京2020パラリンピック競技大会に出場し、競泳400メートル自由形(視覚障害S11)と100メートルバタフライ(同)で銀、200メートル個人メドレー(視覚障害SM11)で銅と3つのメダルを獲得した富田宇宙(EY Japan)は、「心はかなり広くなってきちゃっているけど、さすがに宇宙は広すぎますよね」と笑う。
「意識したことはないですけど、どこか自分が名前に焚きつけられているんじゃないかと思うことはあります。小さい時から何でもリーダーをしたり、生徒会役員や学級委員をしたりすることが多かったんですけど、無意識のうちに名前に負けないよう、自分が“宇宙”であろうとする、というか。宇宙ほど広い心になるようにって、ちょっとやり過ぎですよ(笑)」
名前の影響を受け、物心ついた頃から宇宙飛行士になることを目指した。熊本の名門・済々黌高に入学。大学では宇宙工学や航空工学を学びたいと勉強に励みながら、水泳部に所属。だが、高校2年の時、進行性の難病・網膜色素変性症であることが判明し、徐々に視野を失っていった。
今まで見えていた世界が徐々に見えづらくなり、宇宙飛行士になる夢も諦めざるを得ず。「(宇宙飛行士という)目標を持って生きていたけど、目標がなくなってしまった。視覚障がいが分かるまでは、将来の目標が前提にあって、そのために毎日があるという風に進学もしたし、勉強もしたんですけどね」。大学進学を諦め、高校卒業後は「1年くらいプラプラしていました」と話す。
「当時は見えにくいけど障がい者手帳は取れないという段階で、手帳を取れない生きづらさと取りたくないという感情が混在していました。障がいを上手く受け入れられず、中途半端な状態が続きました。でも、ただジッとしていても仕方ない。視覚に障がいがあっても生計が立てられるシステムエンジニアになることを目指して、大学に行くことにしました」