W杯落選の哀情「酒に溺れた夜とかあちゃんの涙」 当事者・久保竜彦が明かす16年前の記憶
落選した選手へ、ドラゴン流のエール「落ちりゃ、それも面白いと思う」
今回も当落線で落選する選手はおったんよね。
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俺なんか、ただのおっさんだから言えることはないけど、引きずるのはダメ。そんなんは良い選手じゃない。そんなヤツはいないと思うけど。これで引きずるようなヤツは、ここまでのところ(当落線)にそもそもかからないからね。
切り替えるしかない。じゃないと、これからチームで生き残っていけんでしょ。そんなんは選手もきっとわかってると思う。
でも、落ちりゃ、それも面白いと思う。ずっと上っていくばかりじゃ面白くないでしょ、人生。落ちたら落ちたで、どういう気持ちになるか、その時に周りに誰がいてくれるか、なかなか見られないから。あとはまた上がればいい。浮き沈みがある方が、楽しいでしょ。
なかなか落ちることってないもんね、人生で。だって、自分の力では落ちれんもん。
それを経験できるのも面白いんじゃないですか。
(インタビューは前後編 前編は「『俺の結婚の保証人やけえ』『試合の鬼よ』 久保竜彦が語る代表監督・森保一という男」を掲載)
【前編】「俺の結婚の保証人やけえ」「試合の鬼よ」 久保竜彦が語る代表監督・森保一という男
■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo
1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、カフェ運営や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)