肌色の違いを感じた少女時代 大竹風美子に自信を与えた、ラグビーの“多様性”が持つ力
7人制ラグビーの女子日本代表“サクラセブンズ”で活躍する大竹風美子は、高校まで陸上の七種競技の選手として活躍すると、ラグビーに転向後も恵まれた身体能力を生かし、一気にトップ選手の座へと上り詰めた。ナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれ、スポーツを通して輝きを放った青春時代。異なるルーツを持つからこそ味わった苦難と、多様性の時代に自らに“誇り”を抱かせてくれたラグビーの持つ力について語ってくれた。(取材・文=吉田 宏)
7人制ラグビー女子日本代表・大竹風美子インタビュー後編
7人制ラグビーの女子日本代表“サクラセブンズ”で活躍する大竹風美子は、高校まで陸上の七種競技の選手として活躍すると、ラグビーに転向後も恵まれた身体能力を生かし、一気にトップ選手の座へと上り詰めた。ナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれ、スポーツを通して輝きを放った青春時代。異なるルーツを持つからこそ味わった苦難と、多様性の時代に自らに“誇り”を抱かせてくれたラグビーの持つ力について語ってくれた。(取材・文=吉田 宏)
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大竹はラグビーをプレーするなかで心も成長させてきたが、それは生き方にも大きな影響を与えている。今やラグビーも含めた日本のスポーツ界では、大竹の父がナイジェリア出身であるように、様々なルーツを持つ選手が活躍している時代だ。ダイバーシティ(多様性)が当たり前のように受け止められる時代を迎えているが、一方で大竹は、物心ついた頃から辛い経験や理不尽な思いも味わわされてきた。
「偏見はすごくありました。小学生って見たことのないものや、人と違うことに対してすごく正直だから。私自身も、ちょっと肌の色が違うとかで、すごくコンプレックスを感じさせられました」
小学校で自分の顔を描いていた時に、こんなことがあったという。
「違和感があったのは、色鉛筆で絵を描いた時です。肌色ってありますよね。でも肌色は私の肌の色じゃない。それでも、その肌色を使って自分の絵を書きました。でも、友だちからは『全然違うよ』と言われるんです」
日本で生まれ、日本人として育った幼少期の大竹は、周囲の友だちも大人たちも自分と同じ日本人として違いを感じていなかった。だが、学校に通い始めて家族以外と過ごす時間が長くなったからこそ、“違い”を実感させられた。これを小学生が簡単に受け入れるのは難しい現実だが、こんな大竹の心の痛みを拭い去ってくれたのが、スポーツであり、ラグビーだったという。
「中学、高校と陸上で結果を残せて、私はスポーツで輝けるなと思いました。そうやって輝くことができたのは、もちろん自分の努力もあるけれど、お父さんの血もあると思いました。だからすごく感謝もしています」
他の子どもたちと違うことが大竹を悩ませたが、その違いが、スポーツを通じて偏った見方を取り払い、自信を与えてくれた。そして東京高校3年での楕円球との出会いが、大竹をさらに輝かせてくれた。
「ラグビーに来てから、本当に自信を持てるようになりました。陸上をやっていた時はそんなに思わなかったけれど、ラグビーでは先輩や同級生から『すごく髪がかわいいね』『私もハーフに生まれたかった』、そんなことを何度も言われてきたんです。たぶんラグビーをしている子は、小さい頃から海外の、特にニュージーランドやオーストラリアという強豪国の試合を見る機会が多いと思うんです。そこで、いろいろな肌の色の選手、多様性に触れる機会が多いからかもしれないですけど、すごく前向きに“違い”について言ってくれた。だから私も自信がついたし、自己肯定感も上がったと感じています。私自身も世界中で試合をして、世界中を見ることができて、自分の半分違う血が入っていることに対して、すごく誇りに思うようになりました」
どのスポーツでもダイバーシティを尊重する時代を迎えている。中でも代表規約を国籍で縛らないラグビーは、もちろん根強い差別や偏見を孕みながらも、差別を認めず、寛容さを重視するスタンスを大切にしてきた。多感な高校3年という年代で、大竹は「違い」を乗り越えるだけではなく、「違い」に誇りが持てるまでに成長した。