「走れる作家」になりたかった私が文章を書き残す理由「だから、生きていた痕跡を」【田中希実の考えごと】
「走れる作家」の夢に近づけたと思いきや…
――そして今である。
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なぜこんなことになっているのか自分でもよく分からない。小学生の頃の自分が見たら、そんな風になりたかった訳じゃないと、むしろ口を尖らせそうだと思う。
メルヘンな景色溢れる国々をマイペースに走りながら、メルヘンを書く。そんなメルヘンチックな要素は今、一切ない。日々の練習やレースに一喜一憂し、殺伐としている。そして自分自身という子供に手を焼いている。
何が走れる作家だ!
夢に近づけたかもという書き出しだったはずが、いつのまにか夢が逸れていったという話になってしまった。
しかし、ありがたいことに、その時々で気持ちの向く方に取り組めた結果ここまで来られたのだから、文句は言えない。
それこそ、もし昨年の東京オリンピックの出場権を選考レースで逃していたら、私は発狂しただろう。オリンピックなんてまるで興味のなかった小学生の自分からしたら、とんだ手のひら返しに映ると思う。でもそれが今の私なのだ。
以前、それこそTHE ANSWERの取材で、人生を変えた本は何かという質問があった。小学生の頃、母が毎年出場していた北海道マラソンのブースでスタンプラリーがあり、その景品でもらった本がそうかもしれないと答えた。
今でこそ『シティマラソンズ』という題で店頭に並んでいるが、当時は非売品だった。企画のためだけの、三人の有名作家による完全書き下ろし。さらに、ハードカバー、函入り、という特別感満載の、『マラソン三都物語』という本だった。
大人にどんな話?と聞かれた時、「めっちゃ速い男子高校生が、オリンピック目指せるんちゃうかって一瞬思ったけど、日本一にはなられへんし、ケガもして、オリンピックなんて夢のまた夢やったって諦める話」(『フィニッシュ・ゲートから』より)と答えた。
決して、決してそれだけの話ではないし、子供心でも全然表現できてない感はあったが、その印象が相当強かったのだろう。しかも、いまだにそう答えたことや、答えを聞いた大人が戸惑っていたことさえ覚えているのだ。