“体格至上主義”は愚の骨頂 英雄クライフも重視した、小柄なサッカー選手に備わる利点
体格差が生む影響力はトップレベルでは限定的
GK、CB、ボランチはどうしても、大型化の傾向にはある。それは否定できない。戦いでは原則的に、弱点を作ってはならないからだ。
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しかし、SBやサイドアタッカー、インサイドハーフなど「体格」と無関係なポジションもある。
「小さい選手を疎んじるなど、もってのほかである。ユース年代で、小さい体で目立っているということは、大きな体の選手に負けない閃きや技術があるわけで、それはすでに才能と言える。小さい選手にこそ、着目すべきだ」
バルサの中興の祖とも言えるヨハン・クライフは、むしろ小さいことの利点を説いている。その説得力は眩しいほどだ。
サッカーは、集団の中で個人がサッカーボールを扱う競技である。多勢の中で個人が技術を競い、その局面で優勢になることによって、全体でも優勢となる。体格差で有利になることもあるが、ボールを扱い、操り、コンビネーションを生むほうが、強力な力を生むのだ。
1人の高さ、強さ、速さは低レベルの戦いでは大きくモノを言う。しかし、トッププロでの効用は実は限定的である。もし体力が絶対的なら、ウサイン・ボルトはサッカー選手としても引く手あまただったはずだし、長身選手であふれ返っていただろうし、あるいはプロレスラーのような体型の選手が闊歩していただろう。
ボールプレーを極めることに、サッカーの本質はある。そこは育成段階で決して外してはならない。ボール技術のない選手など、プロでは置き去りにされる。
真のトッププレーヤーは、プレッシングなどストレスに感じない。
「自分に選手がそれだけ集まってくれば、周りの味方はそれだけ有利になっているでしょ?」
全盛期のアンドレス・イニエスタの発言である。周りを6、7人に囲まれた彼は、まるで相手を罠にかけたようにし、フリーになった味方に決定的パスを出した。フィジカルの劣勢など一瞬で無力化。彼と調和した選手たちが、世界の王座に君臨した。
その技術や発想、判断を磨くことが、本来はサッカーの面白さと言える。