サニブラウンが世界の8人に残るまでの5年間 18歳で米国挑戦、全ては「その1mmを縮める為に」【世界陸上】
「前例のないことに挑戦して、自分がいい思いをした。是非体験をしてほしい」
19年11月にプロ転向を表明。全米大学選手権など全米大学体育協会(NCAA)の大会には出場できなくなったが、スポンサー契約が可能に。企業から金銭的支援を受け、さらに環境を整えた。
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環境を変えることでコーチも代わる。コーチが代われば、指導法も、練習方法も異なる。「オープンマインドで挑戦し、自分に合うものを見つけていった」。引き出しが増えた。何より「一番大きい」と挙げたのがチームメイトの存在。この日銀メダルのマービン・ブレーシー、銅メダルのトレイボン・ブロメル(ともに米国)らと切磋琢磨している。
練習の一本にも「真剣に自分と闘いながらやっている」というトップ選手。「全てマインドセットだ」と自分が一番だと信じ込み、レースを迎えているという。教えを受けたサニブラウンは、取材でいつも繰り返してきた。「こんなもんではダメ」「まだまだ」「目指しているところではない」。意識の高さが成長スピードを上げ、昨年の腰痛で苦しんだ日々も乗り越えられた。
23歳にして4大会連続の世界陸上。挑戦の日々のさなか、いつしか若い世代を含めた日本陸上界のことを想うようになった。
「陸上だけでなく、勉強をすることで自分のやりたいことも見つけられますし、一番は自分の視野が広がる。一人の人として成長できる機会。是非、もっと広い世界を見てほしい。憧れるだけでなく、他の選手、下の世代の人が『自分にもできるんだよ』と思ってもらえれば。
(トップ選手に)ただ憧れて『凄いことをして成功をしたんだ』ではなく、『自分たちもそういう道を辿れば人として成長できる』と気が付いてもらいたい。海外に出たのは興味本位ですけど、一番大きいのは誰もやっていないこと、前例のないことにチャレンジをして、自分がいい思いをしている。他の人にも是非体験をしてもらいたい」
とにかく海外に出れば、誰もが成長するというわけではない。でも、18歳で決意したあの日がファイナリストを生むきっかけになった。
記憶が飛んだ歴史的レースの直後、トラックに座り込み、大型ビジョンを見上げた。表彰台を独占して狂喜乱舞する米国の選手たち。日本人初の世陸100メートルファイナリストは大会関係者に日の丸国旗を差し出されても、受け取らなかった。「メダル獲ってないんで」。嬉しい半面、やっぱり「まだまだ」の気持ちは尽きない。
「こんなところで満足していられない。もっともっと上を目指して頑張っていきたい。(メダルとの距離は)近いようで遠いかな。すぐに手が届きそうだけど、その何センチを縮めるために凄い練習、メンタル、コンディションの調整が必要。その1ミリを縮めるために選手たちは練習、練習以外でも励んでいる。自分も一日一日、一秒一秒を無駄にせず励んでいきたい」
サニブラウンはどこまで突っ走るのか。190センチの大きな背中には、日本の夢が乗っかっている。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)