サニブラウン、予選9秒98の衝撃 「はい、まだ全然」の即答が抱かせた決勝進出の夢【世界陸上】
苦しい日々を支えたのはチームメイト「精神面は強くなっている」
腰椎ヘルニアに苦しんだ2021年。東京五輪は100メートルで出場権を逃し、200メートルは予選敗退だった。何をしても体が痛い、動かせない。「精神的に少し弱っていた」。1か月、陸上について何も考えない時間をつくった。支えになったのが最強のチームメイトたちだった。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「怪我をした時はどうするのか」。すっかり流暢になった英語で質問。「模索しながらアイディアをもらえた」と抜群の環境に感謝する。どんなトップ選手も何かしら問題を抱えながら走っている。そう言い聞かせた昨秋、ゼロから走りをつくり直した。
「一番大きなのは周りの選手の経験値が高いこと。五輪が終わってコーチと話して全てをリセットした。しっかりリフレッシュできたし、秋から練習する中で一番よかったと今振り返って感じます。やっぱりどこかが痛かったり、調子が悪かったり、そういうのに左右されているところが今まではあった。今となっては、そんなのあまり関係ないと思えている。
どんな状況でもパフォーマンスはしっかり出さないといけない。そういう面ではいい心構えでこの大会に挑めている。そこ(怪我)を経て精神面は強くなっているなと思います。体がよくても精神面で弱くてはよくない。いつもチームメイトに言われるけど、この競技はメンタルが大事。そこを意識しています」
16歳だった2015年北京大会は、200メートルで大会史上最年少の準決勝進出を果たした。17年ロンドン大会も200メートル7位入賞。19年ドーハ大会は100メートル準決勝でスタートに遅れながら、決勝進出まで0秒03に迫っていた。「もの凄く楽しいですね。久しぶりに万全の状態で世界大会に出られている。このままこの舞台を大いに楽しめれば」
笑みを浮かべた一方、視線はすぐに次のレースに向いた。「まだ上げられる感覚は?」の問いに「はい、まだ全然」と即答。日本人の100メートルの歴史において、五輪では1932年ロス大会で吉岡隆徳が唯一決勝に進出。世界陸上では誰もいない。
「正念場は準決勝。やっと戻ってきたかなという感覚はある。明日、過去の自分を超えて前に進めれば」
「日本人初」の肩書きすら大きくはないのか。自己ベストは19年6月の9秒97。見据えるのはさらに上の領域。漂わせた風格は、快挙を期待させる。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)