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古豪・浦和市立で全国制覇 35年指導の高校サッカー名将が選手に伝えた勝利への執念

昨年9月9日に83歳で亡くなった埼玉・浦和市立高校(現・市立浦和高校)サッカー部の磯貝純一元監督をしのぶ会が7月3日、さいたま市の同校で開かれた。サッカー部OB会(倉又泰弘会長)が主催し、関係者ら約130人が出席。当初は1月23日の開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大により延期となっていた。

浦和市立4度目の選手権優勝メンバーら。前列左から3人目が倉又泰弘サッカー部OB会長、右端が清水秀彦さん【写真:河野正】
浦和市立4度目の選手権優勝メンバーら。前列左から3人目が倉又泰弘サッカー部OB会長、右端が清水秀彦さん【写真:河野正】

浦和市立高サッカー部・磯貝純一元監督をしのぶ会、関係者約130人が出席

 昨年9月9日に83歳で亡くなった埼玉・浦和市立高校(現・市立浦和高校)サッカー部の磯貝純一元監督をしのぶ会が7月3日、さいたま市の同校で開かれた。サッカー部OB会(倉又泰弘会長)が主催し、関係者ら約130人が出席。当初は1月23日の開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大により延期となっていた。

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 1946年(昭和21年)創部の同校サッカー部は全国高校サッカー選手権を4度制し、単独チームでの出場が可能だった当時の国民体育大会(国体)でも3度優勝。ともに埼玉県勢としては最多記録で、高校選手権出場も武南と並ぶ最多の14度を数える古豪である。

 東京大学ア式蹴球部が、26年(大正15年)から東京カレッジリーグ(現・関東大学リーグ)で6連覇した往時の名選手で、第2代指揮官となる鈴木駿一郎監督が52年7月に着任すると、浦和市立は埼玉を代表する全国区の強豪へと栄達していく。短いパス交換と鋭いサイドアタックが代名詞のチームだった。

 日本代表で主将を務め国際Aマッチ63試合に出場した落合弘、日本女子代表監督としてアトランタ五輪に出場した鈴木保は教え子である。

 磯貝監督は日本体育大学を卒業後、浦和市立東浦和中学の教員となったが、高校チームの指導に憧れて1年で辞し、65年4月に浦和市立へ赴任。3代目の監督として99年3月まで35年間にわたって名門校の指揮を執った。

 浦和市立は磯貝監督が赴任するまでに、高校選手権と国体の優勝がそれぞれ3度、準優勝も各1度という輝かしい戦歴を誇った。若い教員にとって伝統校の指導は、計り知れない重圧との戦いでもあった。

 就任2年目の66年にインターハイが創設され、記念の第1回大会に出場。藤枝東(静岡)に0-1で惜敗し準優勝に終わったが、第45回高校選手権でも3位に入った。
 2年連続出場した67年のインターハイでは決勝で刈谷(愛知)に2-0と快勝し、埼玉県勢として初優勝を飾った。早々に結果を出した青年監督だが、指導現場での気苦労はかなり多かったようだ。

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