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中田英寿と16歳から深めた絆 歴代日本代表で果たした、“宮本恒靖にしかできない”役割

宮本恒靖氏が同世代のエースとの関係性について振り返った【写真:荒川祐史】
宮本恒靖氏が同世代のエースとの関係性について振り返った【写真:荒川祐史】

五輪代表合宿で「ヒデが入りやすい雰囲気を作った」

 合宿当初、稲本潤一ら下の世代は、中田を遠巻きにして見ていたという。

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「イナ(稲本)ら下の世代は、力があったし、勢いもあったけど、ヒデが来た時は、最初、大人しく観察している感じだった。自分らの上を行くレベルの選手が入ってくることで、よりチーム力が上がるというのは、みんな分かっていたし、どんなサッカーをやるのかというところに、みんな関心があったと思う。でも、その前にヒデとどうコミュニケーションを取ったらいいのか分からない感じやったし、それはヒデも同じだった。それで食事の時、福田(健二)らを呼んで4人掛けのテーブルに座り、ヒデが入りやすい雰囲気を作ったのは覚えています」

 宮本の食事でのテーブル作戦で、朝昼夜といろんな選手が中田のところに来るようになった。練習ではみんなで輪になり、リフティングゲームをして和むと、初日はみんな「中田さん」と呼んでいたが、3日目には「ヒデさん」と呼ぶようになっていた。シドニー五輪の本大会でも宮本は、中田とカフェで息抜きするなど、ストレスを溜めさせず、孤立しないように気を配った。

 だが、シドニー五輪が終わりA代表になると、中田の雰囲気が少し変わってきた。

「ヒデは、下の世代とはどう接していけばいいのかなって感じだったけど、上の世代の選手と接するのが楽というか得意みたいな感じだった。シドニー五輪予選の時からチームとヒデの融合を目指してやってきたけど、A代表になってからはそこまで気を配る必要もなくなった。自分よりも上の世代が増えたし、彼らと一緒にいることが多かったので」

 中田は前回のフランスW杯時のように、トルシエのチームでもあっという間にエースになった。2001年のコンフェデレーションズカップでは、グループリーグ3試合を終えた時点でローマに戻る予定だったが、フィリップ・トルシエが帯同を熱望。日本サッカー協会とローマが協議して準決勝までのプレーが決まった。中田はその試合でゴールを決めて、決勝進出を置き土産にしてローマに戻った。

 宮本は日韓W杯でメンバー入りした後も、中田とコミュニケーションを取っていた。グループリーグ初戦のベルギー戦、2-1とリードした後半26分に森岡隆三が負傷し、宮本が投入されたわずか4分後に失点。その時、中田は宮本の傍に来て、声をかけた。

「ツネ、切り替えていけよ」

 宮本は“分かっている”と、手を振って応えた。

 失点で重く沈んだ空気になり、皆が無口になるなか、中田だけが宮本に声をかけてきたのだ。宮本は気持ちを切り替え、それ以上の失点を許さず、貴重な勝ち点1を獲得した。

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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