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宮城スタジアムは「負の遺産」か 日韓W杯“終戦”の地、解体危機を経た20年後の姿

3月の地震でメインスタンド2階席が幅30メートルにわたり陥没、復旧の見通しは立っていない【写真:宇都宮徹壱】
3月の地震でメインスタンド2階席が幅30メートルにわたり陥没、復旧の見通しは立っていない【写真:宇都宮徹壱】

3月の地震でメインスタンドの2階席が陥没

 思えば宮城スタジアム自体、存在意義の薄さが常に付きまとう施設であった。4万9133人という収容人数は東北最大。しかしながら、県内のJクラブであるベガルタ仙台は、アクセス抜群で球技専用のユアテックスタジアム仙台を本拠としていた。最寄り駅から「徒歩59分」というアクセスの悪さもネックとなり、大会後に宮城スタジアムが顧みられることは、ほとんどなかったのが実情である。

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「日本代表が敗れた場所」とか「アクセスが最悪」とか「ユアスタがあるのに」とか、ネガティブな評価ばかりが聞こえてくる宮城スタジアム。この状況を地元の人々は、どう感じているのだろうか。そして宮城スタジアムは、本当に「負のレガシー」でしかないのだろうか――。そんな問題提起からスタートした、今回の宮城への旅。しかし実際に現地を訪れてみると、意外な事実が浮かび上がってきた。

 仙台駅からJR東北本線で3つ目の利府駅に到着。改札を出ると、日本代表のジャージを来た紳士が、私を迎えてくれた。今回の取材の証言者である村松淳司、61歳。東北大学教授の村松は、同大学の多元物質科学研究所に奉職する一方、週末は市民スポーツボランティア「SV2004」の副代表として、さまざまなスポーツイベントの会場で活動している。早速彼の車に乗せてもらい、宮城スタジアムを目指した。

「実はこの間の地震で、スタジアムもかなり損害が出てしまって、今は中には入れないんですよ」と村松。3月16日23時36分、福島県沖を震源とする震度6の地震によって、宮城スタジアムはメインスタンドの2階席が幅30メートルにわたって陥没。中高生の陸上の東北大会は、会場の変更を余儀なくされた。

 実は村松は、W杯以前から宮城スタジアムと向き合ってきた。利府町に自宅を建てたのが2000年。ちょうどスタジアムがオープンしたタイミングである。

「こけら落としが6月11日のキリンカップ(日本vsスロバキア)。その時もボランティアとしてスタジアムにいました。後半だけ見ることができたので、中村俊輔がFKを直接決めたのも覚えています。ただ、地元にスタジアムができたことには、それほど感慨はなかったですね。サッカーを見るんだったら、ユアスタのほうが断然いいって思ったくらいで(苦笑)」

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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