「サッカー不毛の地」新潟を変えた日韓W杯 転勤族の1人が奔走、勝手連とアルビの物語
「勝手連」から生まれた新潟におけるW杯のレガシー
SONに関して注目すべきは、アルビレックスのホームゲームで蓄積された運営ノウハウが、JAWOC(2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会)新潟支部に見出され、本大会のオペレーションにも反映されたことだ。勝手連から始まった一般市民の活動が、W杯という大舞台でも活用されたことは、意外と知られていない。
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「JAWOCの皆さんが、聞く耳を持っていたのが大きかったですね」と語るのは、本大会ではバックスタンド1層目でボランティアのチーフを任されていた金子。日本でのファーストマッチに、プレッシャーはなかったのかと尋ねると「むしろ絶対に上手くいくと思っていました。アルビでも3万人を経験していましたから」と笑顔で答える。新潟でのW杯は3試合で終わったが、「まだまだできる!」と思ったそうだ。
ビッグスワンでの試合後、金子に案内されて、もくはちクラブの会場を訪れた。「木曜8時」ではなくなったものの、アライアンスが主催する自由参加型のフットサルは今でも続いている。サッカー好きのおっさんの集まりに見えるだろうが、それは間違いなく、W杯がこの地に残したレガシーの一つであった。
「ワールドカップが開催されて、何が変わったかと言えば、我々の週末が劇的に変わりましたよね。ビッグスワンができて、アルビの試合が楽しめるようになって、サッカーがある風景が当たり前になりました。自分自身の話で言えば、ボランティアを通して新潟だけでなく、全国のボランティア仲間とつながることができましたね。来年で私は定年になりますが、孤独への不安はまったくないです(笑)」
金子や小島のように、20年前のワールドカップを通して人生が劇的に変わった市井の人々は、全国至るところにいるのだろう。そんな人々を訪ねながら、2002年の記憶を探し求める旅は続く。(文中敬称略)
(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)