W杯“つま先弾”と鈴木隆行の生き様 「勘違いしない」男が愚直に追った微かなチャンス
小さい頃から過小評価「自分を見失うことは一度もなかった」
1年後の2003年夏には、再びベルギーに渡ってゾルダーでプレーする。ここでも1シーズンのチャレンジに終わったが、06年にはセルビア1部の名門レッドスター・ベオグラードに移籍。出場機会を得られずに苦境が続くなか、成長を目指して歯を食いしばって日々、妥協なくサッカーに取り組んだ。
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「たとえ厳しい環境だと分かっていても、なんとかわずかなチャンスに懸けたいと思っていました。人って厳しい環境に身を置かなかったら成長しないと、自分は思っているので」
無論、Jリーグでプレーする時はチームのために尽くした。国内だろうが海外だろうが、全力であることに変わりはない。ただ、チャンスがあれば海外に向かうという選択肢を必ず一番に置いた。理由はただ一つ、厳しい環境に身を置くほうが自分は成長できると揺るがない信念があったからにほかならない。
高校の頃から彼は自己採点をつけていた。90点、100点と高い点数を与えたことはないという。誰よりも厳しい目を向けていたのが他ならぬ自分であった。
「過大評価ではなくて過小評価。だから俺、勘違いしたことがないんです。小さい頃から自分を客観的に見ていたタイプ。足りないものはどこかって分かっていたし、自分を見失うことなんて一度もなかった」
ベルギー戦のあのゴールは積み上げてきたものが「成果」となって一つ表れただけ。決して目標地点などではなかった。大舞台を経験したことで新しく視界に入ってきた壁を、我慢強く登っていこうとした。
チャレンジしなければ、成功の権利を得ることはできない。
つま先で蹴ったボールは、コースギリギリに真っ直ぐに向かっていった。
食らいついて、自分の思いにストレートに生きる鈴木隆行が乗り移ったゴールだったからこそ、それは伝説となった。
【第1回】鈴木隆行、W杯ベルギー戦秘話 “つま先弾”導くブラジルでの涙と「眠れなかった」前夜
【第3回】日韓W杯から20年、鈴木隆行の今 スクール5校運営、「本物の指導者」へ下積みの日々
■鈴木隆行 / Takayuki Suzuki
1976年6月5日生まれ、茨城県出身。現役時代はFWで、日立工業高校から95年に鹿島アントラーズに加入。出場機会に恵まれず、ブラジルのCFZに2度、国内ではジェフユナイテッド市原(現・千葉)、川崎フロンターレへ期限付き移籍した。2000年の鹿島復帰後に頭角を現すと、翌01年に日本代表初招集。02年日韓W杯にも出場し、ベルギー戦で歴史的なゴールを決めた。日本代表通算55試合11得点。15年の現役引退後は解説者の傍ら指導者の道に進み、現在は小学生を対象にしたスクール「UNBRANDED WOLVES SOCCER SCHOOL」を運営している。
(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)