「OBの数え方も分からなくなった」 西郷真央より強かった21歳の知るプロテストの苦悩
初挑戦は2次不通過、再挑戦は病で断念
2019年10月、三重・ジャパンクラシックCCで開催されたプロテスト2次予選で和久井は、初日78、第2日77、第3日77。通算16オーバーで最終ラウンドに進出できなかった。信じがたい結果……。和久井はここでどん底に落ちた。
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「テストの時は、緊張と不安で全てがダメになりました。途中、OBの数え方も分からなくなり、過大申告もしました。自分自身に情けなさを感じる中、周りから『がっかりした』という声も聞こえてきて、誰とも会いたくなくなりました」
裕希子さんは「麻由が部屋から出てこなくなって困りました」と当時を振り返る。「ゴルフを辞めたい」とも言われたが、「1度、決めたことはやり通しなさい」と説得。しばらくして、和久井は人目を避けながら練習を再開したが、裕希子さんいわく「気持ちが全く入っていませんでした」。そして、コロナ禍で20年度のプロテストは21年に延期された。和久井にとっては、メンタルの異変を経た2度目の受験。だが、1次予選2週間前になって、体に異変を起こした。
「扁桃腺が腫れ、高熱が出て寝込むようになりました。原因は重度のストレスでした。その時点で開催コースのある福島県内のホテルにいましたが、コロナ禍で栃木県から来た私は入院できませんでした。練習もできず、体はボロボロ。2日前に症状は治まりましたが、当日の朝、私の判断で欠場を決めました」
和久井は再び絶望を感じた。しかし、同年夏から21年度のプロテストが開催されることが救いだった。周囲からも「すぐにまたテストだから」と励まされた。その頃、笹生が全米女子オープンを制覇したが、「自分は自分」と言い聞かせ、笹生に「おめでとう」と祝福メッセージも送った。
しかし、同年11月の21年度最終テストも合格できなかった。1次、2次は順調に通過したが、最終は合格圏に6打届かず45位。京都・城陽CCのグリーン周りに苦しんだ。
「ショットは良かったのですが、逆目の芝に対応できずにアプローチのミスを重ねました。初日の77が痛かったです。それまで受けたテストの中で一番ショックでしたが、この時はすぐに切り替えができました」