宗像サニックス「永遠のノーサイド」 28年の歴史に刻まれた“非エリート集団”の団結力
宗像の地に集ったラグビー界の流れ者たち
挑戦と挫折の28年だった。チームが産声をあげたのは1994年。日本のラグビーチームの多くは、世界でも名が知れた企業が抱えていたが、サニックスは福岡ベースの地方企業。チームの本拠地、宗像市のサニックス玄海グラウンドは、JRの最寄り駅から車で15分かかる。
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博多のような煌びやかさは微塵もない静かな町に、関東、関西のスター選手は、なかなか集まらない。栄えあるトップリーグ元年の参画チームにこそ名を連ねたが、3度の降格と6度の入替戦での残留を味わってきた。元選手であり、今季までヘッドコーチとしてチームを率いたダミアン・カラウナは「ラグビーというのは、お金がかかるスポーツだ。それでもサニックスは、小さな会社ながらしっかりチーム作りをしてきた。そういう環境が闘志を生み出す」と、チームが置かれた逆境が育む強さを物語る。叩かれても、突き落とされても、何度でも這い上がる。負けん気だけは、どんな名門チームにも劣らない。
ラグビーエリートは集まらないが、エリートとは別の“イニシャルE”が宗像には集まってきた。「エグザイルズ=流れ者」だ。今季の登録メンバーの半数以上が、いずれかの社会人チームを経由してブルースの一員になった。
主将のWTB(ウィング)/FB(フルバック)屋宜ベンジャミンレイはヤマハ発動機ジュビロ、副将のHO(フッカー)高島卓久馬も近鉄ライナーズからの復帰と、2人揃って移籍組だ。FL(フランカー)吉田光治郎のようなトヨタ自動車ヴェルブリッツ-キヤノンイーグルスとチームを渡り歩いてきた強者もいる。一見すると、バラバラの背景や経歴、そして価値観を持った寄せ集めのように思われがちだが、だからこそ一つになりたい、何かしらの絆を作りたいという強い思いが選手にはある。
最終戦で、力強いランで先制トライをマークしたWTB石垣航平は、WTB/FB八文字雅和らとともに昨季コカ・コーラレッドスパークスで休部を経験して、今季も同じ憂き目を味わわされた。それでも石垣は最終戦を終えて、チームへの特別な思いを訥々と語っている。
「もともとサニックスにいた選手も、(新リーグ、コロナ禍で迎える)今季のシーズン入りは難しかった部分がたくさんあったと思います。でも、新しく入ってきた僕たちをすごく歓迎してくれて、一緒に強くなろう、一つになろうと受け入れてくれた。このチームは1年足らずで終わってしまったので、もちろん『またか』という気持ちはありましたけど、すごく好きになりました。最後までみんなと、このチームで戦い抜きたいという思いは強かった。これからは、まずはみんなの次のステージを応援したい。自分自身も、この2度の廃部を受けて、すごくメンタル的にも強くなったと思うので、2つのチームの仲間たちの思いも背負って現役を続けていきたいですね」