[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

サッカー日本代表とクラブの「密接な関係」 名GK川口能活が語る“両立”の大切さとは

日本代表の正GKとして長く君臨した川口能活氏は、若くして、高いスキルと甘いマスクで、サッカー界で絶大な人気を獲得した。JリーガーとしてはGKで初めて海を渡り、海外でプレーするなど、貪欲に質を追い求めた。そんな川口氏がJリーグで感じたことはどんなことだったのだろうか。

川口能活氏が語ったJリーグの理想とは【写真:松橋晶子】
川口能活氏が語ったJリーグの理想とは【写真:松橋晶子】

「サッカーが文化になっている」と感じた海外のプレー経験

 日本代表の正GKとして長く君臨した川口能活氏は、若くして、高いスキルと甘いマスクで、サッカー界で絶大な人気を獲得した。JリーガーとしてはGKで初めて海を渡り、海外でプレーするなど、貪欲に質を追い求めた。そんな川口氏がJリーグで感じたことはどんなことだったのだろうか。

 ◇ ◇ ◇

 川口は1994年に高卒ルーキーとして、横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)とプロ契約を結んだ。

 プロ2年目にプロデビューを果たすと、以降は押しも押されもせぬ日本を代表するGKへ成長。アトランタ・オリンピック出場を経て、日本代表が悲願のワールドカップ(W杯)初出場を果たした1998年フランスW杯では3戦すべてでゴールマウスを守った。

 その後、中田英寿や名波浩といった“代表の顔”が続々と戦いの舞台を欧州へ求めていく。日本人選手の海外移籍が活発になっていく潮流で、川口が2001年秋に海を渡ったのは必然の展開だったのかもしれない。

 イングランドとデンマークでは安定的に出番を得られたとは言い難い。それでもサッカーの本場で学ぶGKスキルは向上心を掻き立て、闘志に火をつけた。テレビをつければ自国リーグや代表チームを対象とした討論会が日常的に繰り広げられている。ピッチに立てずとも、サッカーが文化になっていることを感じられた瞬間だ。

 2006年ドイツW杯に向けたアジア一次予選が始まった2005年初頭、川口はJリーグ復帰を決意する。地元・静岡のジュビロ磐田で再出発を切り、サックスブルーとジャパンブルーの守護神として君臨した。

「Jリーグに戻ってきた2005年の夏にアジア最終予選が終わり、無事に本大会行きの切符を手にすることができました。でも、代表選手にひと息つく間はなく、今度は約1年後の本大会メンバー入りを目指す戦いが始まる。予選を戦ったメンバー全員が本大会に出場できるわけではなく、より競争力が高まる時期です。Jリーグではファンやサポーターからの目も厳しさを増していた感覚があります」

1 2
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集