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サッカー日本代表とクラブの「密接な関係」 名GK川口能活が語る“両立”の大切さとは

日本代表の正GKとして長く君臨した川口能活氏は、若くして、高いスキルと甘いマスクで、サッカー界で絶大な人気を獲得した。JリーガーとしてはGKで初めて海を渡り、海外でプレーするなど、貪欲に質を追い求めた。そんな川口氏がJリーグで感じたことはどんなことだったのだろうか。

川口能活氏が語ったJリーグの理想とは【写真:松橋晶子】
川口能活氏が語ったJリーグの理想とは【写真:松橋晶子】

「サッカーが文化になっている」と感じた海外のプレー経験

 日本代表の正GKとして長く君臨した川口能活氏は、若くして、高いスキルと甘いマスクで、サッカー界で絶大な人気を獲得した。JリーガーとしてはGKで初めて海を渡り、海外でプレーするなど、貪欲に質を追い求めた。そんな川口氏がJリーグで感じたことはどんなことだったのだろうか。

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 川口は1994年に高卒ルーキーとして、横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)とプロ契約を結んだ。

 プロ2年目にプロデビューを果たすと、以降は押しも押されもせぬ日本を代表するGKへ成長。アトランタ・オリンピック出場を経て、日本代表が悲願のワールドカップ(W杯)初出場を果たした1998年フランスW杯では3戦すべてでゴールマウスを守った。

 その後、中田英寿や名波浩といった“代表の顔”が続々と戦いの舞台を欧州へ求めていく。日本人選手の海外移籍が活発になっていく潮流で、川口が2001年秋に海を渡ったのは必然の展開だったのかもしれない。

 イングランドとデンマークでは安定的に出番を得られたとは言い難い。それでもサッカーの本場で学ぶGKスキルは向上心を掻き立て、闘志に火をつけた。テレビをつければ自国リーグや代表チームを対象とした討論会が日常的に繰り広げられている。ピッチに立てずとも、サッカーが文化になっていることを感じられた瞬間だ。

 2006年ドイツW杯に向けたアジア一次予選が始まった2005年初頭、川口はJリーグ復帰を決意する。地元・静岡のジュビロ磐田で再出発を切り、サックスブルーとジャパンブルーの守護神として君臨した。

「Jリーグに戻ってきた2005年の夏にアジア最終予選が終わり、無事に本大会行きの切符を手にすることができました。でも、代表選手にひと息つく間はなく、今度は約1年後の本大会メンバー入りを目指す戦いが始まる。予選を戦ったメンバー全員が本大会に出場できるわけではなく、より競争力が高まる時期です。Jリーグではファンやサポーターからの目も厳しさを増していた感覚があります」

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