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前園真聖、遠藤保仁らを育成 鹿児島の名将、「どげんかせんと」で極めた独自の指導論

鹿児島には「中央の風が吹かない」

「私がサッカーを知らない人間だったから、これだけの選手たちが育ってくれたのかも知れません」

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 鹿実が誇った名伯楽で、2017年8月に亡くなった松澤隆司氏は当時、そう語っていた。

「サッカーの指導なんてできないから、とにかく勝ちにこだわることしかできなかったんです。遠征を繰り返し、勝負の場を求めました。今だから言えますが、負けるとひっぱたいて、生徒を投げ飛ばしたこともありましたよ。メンタルを鍛えるしかないから、負け試合の後はダッシュをさせたり、腕立てをさせたり。選手はさぞかし、私のことが怖かったでしょう(笑)。でもサッカーは勝負事だから、やっぱり勝たないと。負けん気の強さが鹿実の原点だから」

 朱色のユニフォームの選手が猛然とボールに向かうと、あまりの圧力に敵選手は怯むほどだった。高校生離れしたフィジカルパワーは、骨格に恵まれた薩摩隼人ならでは。高く、強く、速い、の3拍子で相手を押しまくるサッカーは、いつしか鹿実のお家芸になった。

「歴史を見てもそうですが、鹿児島には中央の風が吹かず、だから独自のモノがあるかもしれない」

 松澤監督が語っていたとおり、その育成法には独自性があった。

「関東に負けるな、静岡に負けるなという気持ちでやってきました。まず九州の高校全体が全国ではまるで勝てなかったので、“どげんかせんと”という思いで先生方が集まり意見を出し、九州大会を立ち上げた。お互い勝ちにこだわった試合をするなかで、切磋琢磨して強くなったんです」

 松澤監督はクラブユースと高校チームが各地域でリーグ戦を行う『プリンスリーグ』の立ち上げにも関わっている。強化育成には自らの労を惜しまなかった。試合で選手を交流させることで、力を高めた。そのために、選手たちの下宿先として世話を焼き、長距離遠征ではマイクロバスを運転したという。結果、腰のヘルニアを患い、不整脈が出て現場の指揮が執れないこともあるほどだった。

「選手たちに勝つことを要求するのだから、自分に鞭打つのも当然。自分が育てた子供たちを故郷に帰し、プロを経験した選手にはその経験を地元の子供たちにばらまいて欲しい」

 松澤監督はそう言って笑っていた。手作りの育成がオリジナリティを生み出したのだ。

 試合を重ねるなか、鹿実は勝ち筋を見つけていった。それはどこかの国のメソッドだけを引っ張ってきた真似事ではない。鹿児島、九州の性格に合った戦い方だった。

 そして鹿実に勝つために、違う勝ち筋を各高校がまた見つけ出した。鹿児島県内でも、競争は激しくなった。全国で覇を唱える強豪校が出現したことが、地方のサッカー界に活気を与えたのだ。

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小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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