「ボクシングにすがるしかなかった」 村田諒太は人生を懸けた、ただ「強く」あるために
試合後に自分を「評価」したこと「お客さんが帰らずにいてくださった」
プロ1年目の2014年7月、米国合宿でゴロフキンとスパーリング。「世界の壁の高さを感じた。でも、同時に登りたいと思った」。8年間、必死で上を目指し、「強さ」の頂きにいるカザフスタンの英雄とついに拳を交えた。
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心を燃やし、立ち向かった9ラウンドの死闘。右フックを側頭部に被弾した。もう、立てない。182センチの巨体が膝から崩れ落ちた。プロ初ダウン。陣営からついにタオルが投げられた。四つん這いでうつむき、悔しそうに表情を崩した。
試合後の声はいつも通り冷静だった。
「36歳でまだ続けていて、ボクシングで何を証明したいんだろう、何を得たいんだろう、何ができるのか、いろんなことを考えていた。やっぱりいろんなことで強さを証明したかった。その強さっていうのは何なのか。
中学ですぐに逃げ出してしまうような弱い自分、高校生で出た全日本選手権決勝でビビッて実力を出せなかった思い出、北京五輪に出場できず真剣になれなくて終わってしまった自分。どれも不甲斐なかった。そう思うと、ちゃんと向かっていくことが大事。自分自身を律して恐怖に向かっていったんだという気持ち、自分自身で乗り越えたんだという気持ち、それを得たいと思ってやっていた」
負けはした。でも、この試合を見て、誰が弱いと言えようか。強く、勇敢だったことは誰も否定できない。「試合が終わって、お客さんが帰らずにいてくださった。その事実に対しては、自分のことを評価してあげてもいいかな」。ベルトを失ったが、自分を裏切ることなくやり遂げた。「強さ」とは何かを表現し、戦い抜いたことに嘘偽りはない。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)