「走るの嫌い」なのにマラソン挑戦 34歳新谷仁美、残りの競技人生を懸けて闘う理由
レース後は笑顔「アハハハ」、スタート時に初めて芽生えた感情とは
このままじゃ終われない。嫌いなものでも逃げずに闘う。そんな価値観を大切にする。だから、過酷な道を突っ走ることに決めた。2月に34歳になったばかり。「若くてピチピチだったあの頃のようなタイムで走れるように」と持ち前の明るさで冗談を飛ばした一方、「東京マラソン以降のスケジュールは白紙です」と悲壮感も漂わせた。
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記者はボクサーを取材する機会が多い。試合前の彼らは「次の試合以降は白紙」「何も考えていない」という言葉をよく使う。命懸け、目の前のことだけに集中する覚悟。そんな姿を新谷からも感じた。だから、目に涙をためながら「マラソンに懸けている」と語ったのだろう。
本番は東京五輪8位入賞の一山麻緒(ワコール)にくらいついた。40キロで引き離されたものの、一山に続く日本人2番手の7位。15年前の自己ベストを10分更新した。「あの時からさらにパワーアップした状態でマラソンに挑戦できた」。一山に敗れ、目指してきた日本記録2時間19分12秒にも遠い。結果主義者の新谷なら、自分を責める結末だ。
しかし、東京五輪と違い、悲壮感は全く感じさせない。取材エリアで羽が生えたかのように「アハハハ」と豪快な笑顔を見せ、「二度と走りたくない。生きることに必要ないです」と全開の新谷節。笑えたのは「嫌い」なマラソンから得たものがあったからだった。支えてくれた周囲への感謝を口にした上で、スタート時に初めて芽生えた感情を明かした。
「仮に失敗したとしても、自分を責めずにこの先も陸上競技を続けたいと思ってスタートできた。勝負には負けて残念でしたが、不思議と気持ちは軽やか。今までは結果次第で自分を責めていた。そういう自分であってはいけない。挑戦を支えてくれる人たちまで否定することになるから。挑戦に失敗したとしても、自分を責める必要はないんだと思えた。東京五輪の後よりも軽やかな気持ちでここ(取材エリア)に立てている。本当にありがとうございました」
今後の種目は「コーチと話し合う」としつつ、7月の世界選手権(米国)は5000メートル、1万メートルのトラック種目で出場を目指す意向。先にあるのは24年パリ五輪だ。「やるからには自分を納得させたい」。闘い続ける人間の想いが実を結ぶことを願う。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)