日本一速く走れる文学少女 SNSで文章力がバズった陸上・田中希実の人生を変えた一冊
小学3年で読んだ人生を変えた一冊「夢は叶わないこともあると知った」
好きなジャンルは児童文学だが、完全なファンタジーとは違う。現実世界に不思議が入り混じった「エブリデイ・マジック」が大好物だ。「小人が出てくる本が好き」と照れ笑いしながら、「だれも知らない小さな国(作・佐藤サトル)」、「引き出しの中の家(作・朽木祥)」を例に説明。競技場とは打って変わり、柔らかい表情で本を語る。
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「小人の国のような話ではなく、日常にひょっこり小人がいる感じです。人間の世界が日常にあって、信憑性を持たせてからファンタジックな部分があるもの。『本当にいるのかも』と思えると、気持ちが和みます。日常に楽しみを見つけるのがすごく上手になるんですよね」
読書にのめり込んだ小学3年生。同時に始めたのが日記だった。きっかけはアンネ・フランクの伝記を読んだこと。「もしかして、自分も興味深い日記を書いたら何十年先にも残るのかな」。偉人への尊敬の念とともに、ちょっぴり芽生えた下心。毎日、大小さまざまなノートにペンを走らせるようになった。
母・千洋さんは北海道マラソンで2度優勝した市民ランナー。コーチを務める父・健智さんも元実業団選手だった。読書の傍ら走ることが身近にあり、中学から本格的に陸上を始めた。兵庫・西脇工高からは練習日誌に感想をつづり、同志社大に進学後は日記と陸上ノートを書き分け。今も日常生活、感情の機微まで思うままを記している。
一日の終わりに20~30分。忙しくてもメモに残し、何日分か読み返しながらまとめて書く。「文章力は読書するにつれて上がるし、毎日書いているのでまた上がる。相互作用のようなものがあった」。続けること13年。磨かれた力によって描かれたのが「#物語をつなぐ」だった。
読書好きの印象が広まり、本をプレゼントされることが多い。「落ち着いたら読もう」と思って買い集め、今は30冊ほど溜まっている。読書中は陸上から離れ、本の世界でリラックス。「大会中はレースに集中したいのであえて読まないこともあるんですけど、読まなくても本は持って行きます。あるだけで落ち着くというか、ちょっとお守り的な感じで」と笑う。
何百もの異世界に飛び込んできた中で「人生を変えた一冊」がある。
小学生の頃、北海道マラソンに出場する母についていき、スタンプラリーに参加した。景品は三浦しをんの「純白のライン」、あさのあつこの「フィニッシュ・ゲートから」、近藤史恵の「金色の風」の短編3作をまとめた一冊。今では「シティ・マラソンズ」という題名で親しまれている。
3作に共通するのは、登場人物の市民ランナーが挫折を経験していることだった。
「主人公はみんな夢破れた人たちでした。最初からトップアスリートとして登場するのではなく、高校などで活躍していた選手が全く通用しなくなったり、妥協しながらも何かもがいていたり。小学生の時に『あっ、夢って叶わないこともあるんだ』と知りました。過去の経験を捨てるのではなく、自分なりに頑張ること、ずっともがきながら続けていること自体が物語になっているんだなって。
オリンピックで活躍することだけが全てじゃない。出られるのは本当に限られた人たちで、大多数はこの物語にあるような人たち。だから、自分も『絶対にオリンピックに出ないといけない』ではなく、『自分なりの何かができたらいいな』と思えるようになったかなと思います」