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医大駅伝部を4年で全国に導いた40歳監督 コーヒー店経営の異色キャリアを歩んだ理由

箱根駅伝で力走する大東文化大時代の柴田純一監督【写真:本人提供】
箱根駅伝で力走する大東文化大時代の柴田純一監督【写真:本人提供】

Honda退社後にコーヒー店のオーナーに転身

 入学後は一心不乱に練習に励んだ。猛特訓により才能とタイムが一気に伸び、1年生で箱根駅伝の1区に指名された。ところがオーバーワークがたたり、足を痛めて失速し無念の最下位。「優勝候補だったので先輩に合わせる顔がなかった」と述懐する。2年生では7区で2位と快走したが、もっと速くもっと強くという欲が出た分、体への負担が大きくなって故障を繰り返した。足の手術で3年目は欠場し、4年生の箱根も9区で17位と低調な記録に終わった。

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 それでも4年生の全日本大学駅伝は5区で区間賞を獲得し、出雲全日本大学選抜駅伝は6区で2位。関東学生選手権2部ではハーフマラソンを制し、5000メートルでも2位に入って実力を証明した。

 卒業後の2004年、今年のニューイヤー駅伝で悲願の初優勝を果たした地元埼玉の名門Honda陸上部に加入したが、今まで経験したことのない高いレベルについていけず07年に退社。身の振り方については「長いこと陸上界に身を置いてきたので、何か違うことに挑戦したかった」と一念発起し、コーヒー店のオーナーに転身する。

 当初はコーヒーを提供する普通のカフェを経営するつもりだったが、セミナーなどで勉強と研究に明け暮れるうち、コーヒー豆を焼くことの楽しさにのめり込んだ。そうして08年11月1日、茨城県つくば市に自家焙煎の『SHIBATA COFFEE』をオープン。味の良さが評判となり、首都圏のコーヒー店に豆を卸したほか、通販も手掛けるなど経営は順調で1年半後には店舗をリニューアルしたほどだ。

 つくば市では毎年11月、全国から約1万9000人が集って出場するつくばマラソンが開催される。そのたびに大勢の参加者が柴田の店にやって来た。「まだホンダを辞めて間もなかったので、現役時代の自分を知っている市民ランナーの方も多く、『走り方を教えて下さい』とか『ランニング教室を開いてもらえませんか』と頼まれました。陸上に関わるって、自分が走ること以外は考えたこともなかったけど、市民ランナーのそんな声を聞いているうちに教える側に回ってみたい欲が出てきたんです」と指導者への道を発心する。

 まず中学か高校で陸上部に携わり、いずれは大学や実業団へステップアップする夢を抱いた。11年4月から母校の大東大で教員免許に必要な単位を取得するため、科目等履修生としてスポーツ・健康科学部に3年間通いながら、陸上部の奈良修監督を補佐する形でコーチ業も学んだ。練習が終わると焼き肉店で深夜まで働き、家賃と授業料をまかなった。

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