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遠藤保仁はなぜ動じないのか W杯最終予選の重圧すら楽しむ「平常心」の保ち方

オンラインでの取材に応じたジュビロ磐田の遠藤保仁(写真はスクリーンショットより)
オンラインでの取材に応じたジュビロ磐田の遠藤保仁(写真はスクリーンショットより)

サポーターから煽られても「自分の力に変えてプレーしていた」

 遠藤の言葉通り、W杯アジア最終予選を見る日本国内のムードは1997年フランスW杯最終予選の頃からかなり変わった。応援しつつもその内容や結果については、より厳しい視線を向けられるようになった。特にホームでは1-0で勝っていても、さらにゴールを狙えとばかりに煽られるケースもある。

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「自分らの時もありましたけど、それは選手が気にしなければいいんですよ。自分は、ホームで試合をする時、そういうのも楽しんでいました。小さい時から代表で日の丸をつけてプレーするのが大きな目標だったし、お客さんがたくさんいればいるほど、自分のプレーを多くの人に見せられるチャンスになりますからね。何かやってやるという気持ちがあったし、こんな貴重な時間を楽しまないと、という気持ちもあったので、煽りとかも自分の力に変えてプレーしていました」

 現在、カタールW杯アジア最終予選を戦う日本代表は、ホームで行われた初戦のオマーン戦(0-1)を落とし、アウェーでの第3戦サウジアラビア戦(0-1)にも敗れるなど、ピリッとしない戦いが続き、代表に対する視線がどんどん厳しくなってきている。キャプテンのDF吉田麻也は予選敗退したら代表を引退する等々、これまでの最終予選にはなかった選手の声が広がっている。

 こうした状況下で遠藤は、何よりもW杯に行くことが重要だと語る。

「子供たちを含めて、みんなW杯は絶対に見ると思うし、W杯が近づけば日本を応援してくれると思うんです。でも、そこに日本代表がいないというのは寂しい。子供たちにサッカーの醍醐味を見せる機会を失ってしまうと、それこそサッカー人気が落ちてしまう」

 苦境の中で、いかに平常心を保って戦えるのか――。遠藤のような心の余裕が持てれば、重圧のかかる最終予選でも動じることなく戦えるはずだ。

■遠藤保仁

 1980年1月28日生まれ、鹿児島県出身。3人兄弟の三男として幼少期からサッカーに熱中し、鹿児島実業高校卒業後の1998年に横浜フリューゲルス加入。1年目からJリーグで活躍すると、京都パープルサンガ(当時)を経て2001年にガンバ大阪に完全移籍した。司令塔として攻撃的スタイルの中核を担うと、J1優勝2回、2008年AFCチャンピオンズリーグ制覇などクラブ黄金期の確立に大きく貢献。日本代表でも長年にわたって活躍し、W杯に3度出場した。国際Aマッチ152試合出場(15得点)は歴代最多記録となっている。昨年10月にジュビロ磐田へ期限付き移籍、プロ24年目の今季もレギュラーの1人としてJ1昇格を果たしたチームを支えた。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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