植草歩、“嘘”から五輪に懸けた8年間 抱き続けた危機感「前の空手界に戻ってしまう」
「もう一度五輪種目にするには、頑張らないといけない子がいる。それは違う」
19年2月、空手は24年パリ五輪の実施種目から落選した。未来に繋げるために戦ってきた選手の心境は容易に想像できる。“道”をつくるために全力だった。植草が空手に人生を懸けた理由だ。
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「空手が五輪種目に入ったから注目度が変わった。前は社会人になって空手を続けていく選手もいない。それが前までの空手界の現状だったんです。これだけ大きく変わったのに五輪が東京だけで終わってしまったら、また前の空手界に戻ってしまう。同じことの繰り返し。
じゃあ、その次の五輪種目に入れようと思っても、また自分みたいに頑張らないといけない子が増えてしまう。そうじゃないだろ!って思うんです。成功例が一つあれば、子どもたちは『私たちも強くなれる』と思えてわかりやすい道筋になれる。頑張った分だけ強くなれるように。だからこそ盛り上げないと、これで終わりになってしまう」
19年12月、国際大会から帰国直後に4連覇中の全日本選手権に強行出場。他の有力選手が欠場する中、その場に立つことにこだわった。団体戦にも出場。「子どもたち、ファンの方に空手の楽しさを伝えたい。自分が空手界を盛り上げないといけない」。結果は若手に敗れて準優勝。悔し涙を溢れさせながら応じた取材後、観客席から身を乗り出す子どもたちから「サイン下さーい!」の大合唱を受けた。
「もっと子どもたちにキラキラした姿を見せて、負けから強くなった姿を見せたい。(台頭する)若い選手から感じるものもある。それは空手界にとっていいことだし、私が強くなるためにもいいこと。ここで腐る選手じゃない。後輩たちともっと強くなろうと思います」
何度も取材した中で感じるのは、いつも「空手界のため」「後輩たちのため」を大切にしているということ。今春に起きた恩師とのパワハラ騒動に関する訴えにも、その想いがあったのだろうと想像する。
1年延期の末に迎えた東京五輪。日の丸を背負って戦い抜いたが、予選の5人による総当たり戦で2勝2敗。上位2人に入ることができず準決勝進出を逃した。夢に見た舞台で決めた得意の中段突きに「凄く気持ちよかったです」と振り返ったが、ここまでの歩みを思い返すと涙をこらえきれなかった。
「オリンピックの舞台で空手をできたことが本当に幸せだと思います。これが実力だということ。やっぱり一緒に練習してきた方々のためにも絶対に勝ちたかった。本当に申し訳なく思っています。楽しかった空手から、表に出るようになって『実力が伴っていないんじゃないか』『キャラクターだけで走ってしまっているんじゃないか』と初めは苦しかった。
けど、言葉の力や応援してくださる方々の力が、私をここまで強くしてくれてこの舞台に立たせてくれた。ここまで培ってきたものは、今まで自分に携わってくれた方々全員のおかげだと思っています。本当に素晴らしい空手人生を送ることができたなと思う。無事、このようにボランティアの方やいろいろな人のおかげで開催できたことに、本当に感謝しています」
結果は夢見たものではなかったが、ここまで残してきたものが失われるわけではない。いつか未来に繋がることを心から願う。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)