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「試合中に敬語使ったらぶん殴る」 松田直樹とマリノス黄金時代を生きた3人が語る素顔

松田さん急逝直後の試合で出場した栗原勇蔵さん【写真:Getty Images】
松田さん急逝直後の試合で出場した栗原勇蔵さん【写真:Getty Images】

松田さんの指示で俊輔をビンタした栗原「どっちを取るって話じゃないけど」

――松田さんにも最初は「壁」を感じたわけですね。

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栗原「あの時代、全く壁がなかった人って言ったら、(奥)大介さんくらい。那須さん、大介さんと一緒に2002年加入だったわけだけど、『頑張って一緒に優勝しような』って言ってくれて、新人にも優しかった。最初のマツさんとの思い出と言えば……」

坂田「おっ、何? 聞きたい」

栗原「1年目に新人歓迎会みたいなのがあって、俺からしたらマツさんいるし、俊さん(中村俊輔)いるし、俺、すげえチームに入ったんだなって実感していたわけ。そうしたら会が盛り上がってきたところにマツさんが悪ノリで俊さんを羽交い絞めにして、『オイ勇蔵、ビンタしろ』と。そんなことできるわけないし、『無理です』って断ったのに『このチームでは俺のほうが俊より年上なんだぞ。どっちを取るんだ』って迫られて、俺も『俊さん、すみませ~ん』と謝りながらバチン、と。どっちを取るって話じゃないと思うけどって、若造ながら思ってた(笑)」

坂田「マツさんっぽいエピソード(笑)」

那須「さすがマツさん(笑)」

――話を聞いていると、那須さんだけが最初から「壁」がなかった感じですね。

那須「確かに言われてみるとそうかもしれない。アキさん(遠藤彰弘)が鹿実(鹿児島実業高校)の先輩だったから目を掛けてくれていて、それでマツさんとも最初から親しくなれたところはありましたね」

坂田「でも、那須さんとマツさんのバチバチは結構、印象に残っているよ」

那須「サッカーはバチバチやってた(笑)」

坂田「マツさんが『お前、全然ダメだな』とかすぐ煽るから、那須さんも『俺、こんなんじゃねえ』ってボルテージ上げて」

那須「岡田(武史)さんの監督時代、試合中にマツさんがピッチからベンチに向かって指を回して『コイツ、動き悪いから交代させてくださいよ』ってやるから『お前が交代しろよ』って言い返したこともあった」

――確かにバチバチ(笑)。試合中はタメ口でしたよね。

那須「マツさんのほうから『お前、試合中に敬語を使ったらぶん殴るからな』って言われていたので、そこからは遠慮なくタメ口でぶつかっていきましたね。そこでプロのメンタリティを叩き込まれた感じもある」

栗原「サカティとマツさんはポジションが全然違うから穏便にやっていたよね。俺とか那須さんはポジションが近いから」

那須「でも勇蔵は、言い返すタイプじゃない。俺みたいにワーワーって言い返す人には、ワーワーとボルテージを上げて言っていたような気はする。勇蔵とは割と落ち着いて話をしていたような記憶があるな」

栗原「俺はあんまり言い返さないから言い合いになることはなかったけど、2007年の宮崎合宿のときに練習試合があって、マツさんとセンターバックで組んだときに、明らかにサボって行かなきゃいけないところを行かなかったわけ。俺が『行けよ、サボんなよ』って1回言ったことがあって」

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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