「この写真覚えてますか?」 松田直樹を唯一怒れる後輩・河合竜二の感謝とあの日の後悔
「次がない」ことを知ったから「目の前のことを全力でやる」
10年前のあの時、コンサドーレ札幌でプレーしていた僕は3連休をもらい、横浜に帰省中でした。マリノスで同僚だった天野貴史や坂田大輔、清水範久さんとBBQをした翌日だったかな。そろそろ出かけようかと思っていたところに奥さんに電話が入ったんです。
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知人から「マツさんが倒れた」と。急遽、松本へ向かいました。
マツさんはICUにいたので会えるわけもないし、状況は全く分からない。でも、近くにいることでパワーを与えられることもあると思ったし、何より僕が近くにいたかった。ジタバタしても仕方ないけど、マツさんの友人たちと一緒にファミレスで待機していました。
「戻ってきても、練習なんかできないだろう」と当時札幌の監督だった石崎(信弘)さんから許可をいただき、休みを1日延長。そのまま松本に残り、葬儀・告別式まで参列して帰りました。
亡くなってからは喪失感しかありませんでした。いまだに、いないことが信じられない。もっともっといろんなことでぶつかっていれば、マツさんは死ななかったかもしれない。そんなふうに思って、うまく整理できませんでした。
僕とマツさんがマリノスで最後のシーズンとなった2010年最終戦の大宮戦。先発で出場した僕に代わって、マツさんがピッチに入りました。その時、僕はめちゃくちゃ怒ってピッチを出ました。マツさんが出場するのはいいんです。マツさんも最後だったので。でもマツさん、その週は練習に来ていなかったんです。
あの年、チームを去ったのはマツさんや僕だけじゃない。他にもチームを去る選手たちがいて、彼らも僕もマリノスで最後の試合のために、これまで以上に1週間トレーニングに励んでいた。だから「なんで、俺が代えられなきゃいけないんだよ!」と当時監督だった(木村)和司さんに怒ってしまってピッチを出る時、監督と握手していないんです。僕も若かったですね。
お互いになんとなくわだかまりを抱えたまま、チームを離れてしまいました。でも、年が明けた頃に「俺は松本に行くことに決めた。J1に昇格させるから」というメールが届いたんです。大人として「やってやりましょう!」と返しましたけど……言いたいことをちゃんと口に出して、思いきりぶつかっておけば良かったと、今も悔やんでいます。マツさんに怒れるのは、僕だけですから。
人は、次がないことが分かって初めて「今を一生懸命に生きよう」と思えるけど、普通は「また次がある」と思いがち。でも、僕は「次がない」ことを知ってしまった。「目の前のことを全力でやる」という今の僕の信念は、マツさんとの後悔から学んだことです。
(THE ANSWER編集部)