[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

春高バレーがどんな大会かも分からず… 迫田さおり、異端のバレーボール人生

2012年ロンドン五輪の銅メダリストであり、2016年リオデジャネイロ五輪にも出場した女子バレーボールの元日本代表・迫田さおりさん。日本の第一線を走りながら、高校時代は現在開催中の「春高バレー」の出場経験はなく、決して、ずっと輝かしいキャリアを歩んできたわけではない。バレーボールを始めた小学生から2017年に現役を引退するまでの約20年間を全3回に渡って辿る。

迫田さおりさん【写真:編集部】
迫田さおりさん【写真:編集部】

【連載第1回】ロンドン五輪銅メダリスト、バレー人生の意外な中高時代とは

 2012年ロンドン五輪の銅メダリストであり、2016年リオデジャネイロ五輪にも出場した女子バレーボールの元日本代表・迫田さおりさん。日本の第一線を走りながら、高校時代は現在開催中の「春高バレー」の出場経験はなく、決して、ずっと輝かしいキャリアを歩んできたわけではない。バレーボールを始めた小学生から2017年に現役を引退するまでの約20年間を全3回に渡って辿る。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

【連載第1回】春高バレーがどんな大会かも分からず… 元日本代表・迫田さおり、異端のバレー人生
【連載第2回】目は毎日腫れ、体はガリガリ 迫田さおりが今明かす、SOSを出せなかった“あの時”
【連載最終回】「私はアスリート失格だった」― それでも、元日本代表・迫田さおりが輝けた理由

「お姉ちゃんと一緒に遊びたい」。それが、迫田がバレーボールを始めたきっかけだった。2歳上の姉を体育館の外からのぞき見ていた妹は、小学3年生になるとバレーボール少年団に入団。その後、中学、高校も姉を追って同じ学校へと進んだ。

 中学から高校へ進学するとき、迫田には姉と同じ高校のほかに、地元、鹿児島県内の強豪高からも声がかかる。しかし、彼女の最優先事項は強さではなかった。

「通っていた中学は、県内有数の強豪校でしたが、私自身は部活動に取り組む、一中学生。春高がいったいどういう大会なのかさえもわかっていなかった。中学の先生には『強い高校へ行かないか』と言われたけど、そこへの欲がない。姉と一緒の学校に行きたい、と言い張りました。

 進学した県立鹿児島西は県大会で3回戦へ進めば御の字。夏休みも合宿があったり、終日練習があったりする高校が多いなか、練習があっても半日は休み。運動は大好きだったから、部活動がめちゃめちゃ楽しかった」

 小学校から中学にかけて、厳しい環境でバレーボールを続けていた迫田にとって、“ただただ楽しい”という感覚は久しぶりだったという。

1 2 3

長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集