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環境は変えられない― 離島で生まれ育った岩政大樹がプロサッカー選手になれた理由

岩政氏がサッカーを始めたきっかけとは【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
岩政氏がサッカーを始めたきっかけとは【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】

島の子供たちがなかなかサッカーを続けられない理由とは

 岩政氏が子供の時、島に小学校が十数校、中学校は9校あったが、通っていた小学校にサッカーチームはなかった。しかし、母親が勤務していた隣町の小学校は島内では大きく、そこに大島スポーツ少年団があった。小学校のPTAの方が「お子さんがいらっしゃるなら、サッカーチームに入ったら?」と母親に加入を勧めてくれた。その時に初めてサッカーチームがあることを知った。それまでは「サッカーチームに入ってサッカーをするということ自体が、全く頭になかった」という。

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「当時はインターネットもなかったし、情報がない時代だったので、ただ好きでサッカーボールを蹴っていた。1年に1度だけ、2月に大島の小学校対抗でサッカー大会があって、それに向けて、各小学校で即席のチームを作って、2か月ぐらい練習していた」

 岩政氏には、3つ上に兄がいる。岩政氏曰く「兄のほうが多才で、僕よりもサッカーがうまくてセンスがあった」。サッカーはボールと体があれば、どこででもできる。休みの日には校庭で、兄と一緒にボールを蹴って遊んだ。負けず嫌いだった岩政少年は、3歳年上の兄に対しても負けたくなかった。「体も大きいし、勝てるわけがないのに、毎日必死に兄に挑むのが僕のサッカーのスタートであり、ボールを蹴り始めるきっかけだった」。サッカーチームがなくとも、周りには自然とサッカーが好きになる環境が、岩政氏にはあった。

 しかし、兄が小学生の時には、隣町にサッカーチームがあるという情報が入ってこなかったため、兄はサッカーを始めることができなかった。「僕自身は、たまたま小学4年生の時に情報が入ったのでサッカーを始めることができました。そうしたら、プロになることができた、という不思議な縁です。でも多分、情報が入ったのが6年生の時だったら、僕はサッカーを始めていなかったと思います」。

 岩政氏がサッカーチームに入ると、同じ小学校の子どもたちもサッカーをやりたがった。しかし隣町まで通うには、バスで15分。練習が終わる頃にはもう帰るバスはなく、家族が車で迎えにきてくれなければ、自宅に帰ることはできない。そのため、通うことができず、サッカーを続けられない子もいた。

「僕の場合は、両親と祖父母が手伝ってくれて、毎日送り迎えをしてくれたことで続けることができました。でも、こんなこと、本土に住んでいたら考えなくて良かったわけですよね。自分が行きたいと思えば、自分で行けるし、練習が終われば、自分で帰ってくることもできる。そんな簡単なことでさえ、僕たちには難しかった。そういう環境だったんです」

 タイミング良く情報を得られたこと、そして送り迎えをしてくれた家族のサポートを受けて、岩政少年は小学4年生のときに晴れて大島スポーツ少年団の門を叩き、サッカーを始めた。

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