「私はとにかく運がいい」 ハローワーク通いも経験した野口みずきの超ポジティブ思考
出場辞退を余儀なくされた北京五輪の経験も「当時の私には必要な時だった」
2大会連続で出場を決めた2008年の北京五輪では、練習中に左脚を故障し、レース5日前に出場辞退を決めた。「さすがに辞めたいって思うくらい、気持ちがネガティブにいきがちでした」と振り返るが、次の瞬間、「ま、これも本当にポジティブ思考なんですけど、あの経験もあった方がよかったのかな、と思います」とカラッと晴れやかな笑みを浮かべる。
「北京で走れなくなったのも、自分で自分をディフェンディングチャンピオンだって煽ってしまい、与えられた練習以上のことを影でやったり、やらなくてもいいことをしていたことが原因でもあるんです。あと、精神的にもイライラしたり、ツンツン尖っていた感じがあって、取材も結構あったんですけど『ちょっとやめてください』って、自分でフィルターをかけてしまったり。天狗ではないですけど、あまり良くない方向に行っていたんですね。そういうことも全部ひっくるめて、当時の自分は良くなかった。だから、もし怪我をしていなくて北京五輪で走っていても、メチャクチャ悪い成績だったかもしれないって思うんです。当時の私には必要な時だったと思うようにしています」
また、この時の経験がなければ、2016年まで長く現役生活を続けることはなかったかもしれないとも言う。
「もし2008年、いい成績で北京五輪を終えていたら、長く現役を続けていなかったかもしれません。実業団に入った当初に掲げた『ボロボロになるまで走りきる』という目標から、全然かけ離れた結果になっていたかも。もちろん『タラレバ』の話になってしまいますが」
場合によっては心の傷になりかねない出来事を、少しだけ見る角度を変えてポジティブに捉えることで、さらなる成長の糧とする。チームハローワーク時代に身につけた思考の転換=ポジティブ思考があったからこそ、現役生活を完全燃焼で終えることができたのかもしれない。
延期された東京五輪。世界ではまだまだ新型コロナウイルスが猛威を振るっている。しかし、昨年9月のリモート取材で、開催が実現した時には「世界が一つになれるかなって思うんです」と思いを馳せていた。
「まだ先行きは不透明ですけど、ちゃんと五輪が開催できた時には、全世界の人たちが病気と闘い、立ち上がったという証明の五輪になるのかなと。また、そうなれたら素晴らしいですよね。私がアテネでゴールした時、ドーピング検査の対応をしてくれたのが、日本語を話せるギリシャの方だったんです。その方に『アナタは英雄です!』って言われた時、すごく嬉しくて泣きそうになりました(笑)。現地で応援してくれた私の家族も、近くにいた別の国の方々が金メダリストの家族だって知ると、みんなで『良かったね!』と言って握手を求められたりしたそうです。こういう繋がりや一体感が生まれるのが五輪。これを東京でも生み出せればいいですよね」
コロナ禍で先行きが見えづらい今、不安な気持ちや、やりきれない思いに駆られることも多いだろう。だが、これを乗り越えた先にはきっと笑顔の日々が待っている。野口さん流のポジティブ思考を持つことにも、今を乗り越えるヒントが隠されているかもしれない。
(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)