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「日本に恥をかかせるわけにいかない」 ジーコが“世界”に示し続けた愛情とプライド

「あとにしてくれ。私は今、彼らに話している」――ジーコ(元日本代表監督)

W杯抽選会、「あとにしてくれ」とプラティニを待たせ、日本の記者団を最優先したジーコ

「あとにしてくれ。私は今、彼らに話している」――ジーコ(元日本代表監督)

2005年末に行われた06年ドイツ・ワールドカップ(W杯)の組み合わせ抽選会でのことだった。

 日本代表を率いていたジーコに「あとにしてくれ」と、待ちぼうけを食らったのは、当時FIFA(国際サッカー連盟)の理事を務めていたミシェル・プラティニである。

 1980年代は天才的なMFが百花繚乱だったが、ブラジル代表のジーコとフランス代表のプラティニは、南米と欧州の両大陸を代表するスーパースターだった。当然2人は旧知の間柄で、両者が灼熱のグアダラハラで激闘を演じた1986年メキシコW杯準々決勝の一戦は、大会史の中でも屈指の名勝負として語り継がれている。最終的にはPK戦の末にプラティニのフランスが勝利を飾るのだが、敗れたジーコに真っ先に寄り添い、慰めたのがプラティニだった。

 しかし2005年には立場が変わり、ジーコは日本代表監督になっていた。鹿島アントラーズでもそうだったが、ジーコは自分のチームに人一倍の愛情を注ぎ、プライドを持つ。この時、ジーコの魂は日本人になっていた。

 抽選会を終えたジーコは、日本の記者に囲まれ質問を受けていた。プラティニが歩み寄って来たのは、そんな時だった。つまりジーコは、日本の記者団に対応することを最優先し、プラティニを待たせたわけだ。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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