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元日本代表MFはなぜ引退後ビジネスの世界へ? 浦和黄金期に感じたJリーグの未来への懸念

浦和レッズで16年間活躍してきた鈴木啓太にとって、指導者転身も引退後の興味深い選択肢の一つだった。

鈴木啓太氏が引退後、ビジネスの世界に挑戦した理由とは【写真:AuB株式会社提供】
鈴木啓太氏が引退後、ビジネスの世界に挑戦した理由とは【写真:AuB株式会社提供】

【鈴木啓太、腸内細菌研究に懸ける想い|最終回】全盛期の浦和で収益70~80億円「スポーツはただの娯楽の域を出ていなかった」

 浦和レッズで16年間活躍してきた鈴木啓太にとって、指導者転身も引退後の興味深い選択肢の一つだった。

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「もしかすると教育にも関わる一番面白い仕事だったのかもしれません」

 しかし反面立場を変えてJリーグ、さらにはスポーツ界を外から眺めてみると、疑問が浮かんできた。

 21世紀初頭の浦和レッズは、クラブ史上でも絶頂を極めていた。2006年にはJリーグと天皇杯の二冠を達成し、翌07年にはアジアを制し、FIFAクラブワールドカップでも3位と素晴らしい成績を収めた。

「日本のスポーツ界全体を見渡しても野球以外ではトップの知名度で、国民の3分の1から4分の1くらいは名前を聞いたことがあるクラブだったと思います。でもチームが最高潮だった当時の収益が70~80億円。僕の同年代の友人も、会社を起ち上げて同じくらいの収益を挙げていました。もちろん彼らの会社名など、ほとんど誰も知りません。またピッチを離れれば、多くの人たちの関心は経済に向いていて、スポーツはただの娯楽の域を出ていませんでした」

 次世代を担う優秀な選手を育てるのは重要な役割だ。だが鈴木は、もっと大局的にサッカー界やスポーツ界に貢献できる方法があるのではないかと考えた。

「もし将来クラブを経営する側に回りたいと考える場合でも、それを学ぶには外に出なければいけない。スポーツをもっとビジネスやエンターテイメントとして社会に認知してもらえるように努めるべきではないか。そのほうが、これからスポーツ選手を目指す子供たちや、この世界で働いていきたいと考えている人たちに夢を与えられるのではないか、と思ったんです」

 反面コロナ禍を経て、スポーツの持つ偉大な力も再認識した。

「SNSを通じて、ある看護士の方とのやり取りがありました。極限の多忙や恐怖と闘い、ヘトヘトになって病院から帰宅したばかりとのことでした」

 鈴木は「本当にお疲れさまでした」と心を込めて労う。すると、こんな返信が来た。

「私たちが頑張れるのは、Jリーグのおかげなんです。帰ったらJリーグ中継が見られる。そう思うと本当にワクワクして楽しみで仕方がない。それで元気をもらえるんです」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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