村田諒太、SNSの関係は「友達と思われへん」 ネット時代に居場所を作る「志」の輪
村田の居場所はどうやってできたのか「泣いた、笑ったがある中で…」
国体優勝の直後、監督の武元前川氏(享年50)が「南京都を選んでよかっただろ?」と問いかけた。すると、この先輩は「はい!」と大きくうなずいたという。「そう答えたことを未だに覚えているらしいですね。僕はこんな時でも南京都で繋がる。こういう繋がりがあってよかったなと思える時に、もの凄く幸せを感じますね」。青春時代のほんの一瞬の記憶が、結びつきをより強くしている。
居場所は意図して作るものではないというが、ジムでも、それ以外でも、村田の周りにはいつも人の輪ができ、笑顔に囲まれている印象が強い。「村田さんみたいな人気者はいいですけど、なかなか馴染めない人も世の中にはいるかと……」。そんな投げかけに「初めから人気者やったわけちゃいますよ」と返された。
では、どうやって居場所ができていったのか。控えめな返答の続きはこうだ。
「高校生と話をしたら思い出すけど、僕は高校のデビュー戦も負けてますし、そうやって一緒にいる中で負けた気持ちを共有していった。高校って同じような夢を持つ者同士が集まるわけでしょ。そこで泣いた、笑ったがある中で居場所ができてくるわけであって、何もないのに居場所だけ要求したってしょうがないですよ」
史上初の中止となった今年の全国高校総体(インターハイ)。目標を失った選手たちに何かできないかと、村田は「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開する「オンラインエール授業」に参加した。部活に励む高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合う企画。第1回の講師として登場した村田は、全国40人のボクシング部の主将らとパソコン画面を通じて本気で向き合った。
初々しい高校生たちと対面し、自身が青春時代に見た光景に思いを馳せる。居場所ができる過程には「志」を共有し、一緒に過ごすことが不可欠だった。
「やっぱり同じような夢を持つと、同じような仲間が勝手に集まりますから。夢とか志がないところに仲間なんて集まらないですよ。私がここにいて、僕がここにいるというだけのところに人は集まらない。自分らで何かしたいという気持ちがあるから集まるわけであって、『俺は金持ちになりたいんや!』とか言っても、そんなん誰が味方してくれんねんって話でしょ」
帝拳ジムのロッカールームは、選手やトレーナーしか入れない。体重計やシャワー室などがあり、小さなスペースで身を寄せ合い、扉の奥から笑い声が漏れる。そこから飛び出したボクサーたちは拳を振り、強さを追い求めて汗を流す毎日だ。個人競技であっても時間と空間、そして野心に満ちた志を共有している。
「ボクシングやったら、見返したいと思ってやっている選手がたくさんいるじゃないですか。『チャンピオンになって夢を与える』『自分の力でどうにかしていく』『見返したい』とかね。そんな奴らがジムにゴロゴロおったら、『俺もそういう気持ち』と言って切磋琢磨していって勝手に居場所はできます。だから、志を持ってやっていたらいいんです。ハナから居場所を求めるっていうのが間違ってます」