【今、伝えたいこと】「なんで打てんのや!」ではダメ リトルリーグ世界一、亀山つとむの野球少年育成術
新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。
連載「Voice――今、伝えたいこと」第20回、“亀新フィーバー”巻き起こした男のメッセージ
新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。
日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。
第20回はプロ野球・阪神で活躍した亀山つとむ氏が登場。現役時代は新庄剛志氏と「亀新フィーバー」を巻き起こし、引退後には大阪・枚方リトルの監督として世界一を経験。自身に野球の魅力を再認識させてくれた野球少年、少女へ、コロナ禍で考えてほしいことについてメッセージを送った。
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新型コロナウイルスの影響で、プロ野球の開幕が延期となってから2か月以上が経過した。6月中の開幕を目指し、選手たちは少しずつ歩を進めている。亀山氏は、試合があった日常が当たり前ではなかったと改めて実感しているという。
「野球がなくても、世の中が成立している。ファンサービスや野球の良さをより発信していかないと、いけないんだろうなと思います。プロ野球あってこそ、僕の生活も成り立つ。必要だと思われているから存在価値があるわけで。『見たい奴だけ見ろ、来たい奴だけ来い』じゃいけないんだろうなと思いますね」
Zoomでの取材、野球の再開を待ちわびてしみじみと語ってくれた亀山氏には忘れられない経験がある。現役生活を終えた97年以降、小さな野球少年たちから今につながる大切なことを教わっていたのだ。
現役生活では怪我と戦い続けた。1992年、米大リーグでも活躍した新庄氏と「亀新フィーバー」を巻き起こし、チームを6年ぶりのAクラスとなる2位に押し上げた。果敢なヘッドスライディングなど全力プレーで沸かせ「平成のスライディング王」の異名も取ったが、93年にダイビングキャッチを試みた際に右肩を脱臼。95年には腰椎骨折の大怪我を負い、97年のオフに戦力外通告を受け、28歳の若さで現役引退を選択した。
様々なしがらみの中にもあった当時を「野球から離れたいと思いながらも辞めたところは正直ある」と振り返った亀山氏は、引退直後に大阪・枚方リトルの監督に就任した。実績あるプロ選手がいきなり少年野球の監督に転身するのは異例のことだったが、出会った子どもたちに競技の魅力を再認識させてもらったという。
「改めて『野球っていいな』と思わせてくれたのが彼らでした。プロはどうしても年俸などがプレーに反映されていた。子どもたちとやることで野球の純粋な部分、無垢な部分と再び接することができた。今は専門学校のコーチもやっていますが、喉元で引っかからず素直に受け入れられるのは、あのリスタートがあったからだと思います」
就任3年目の99年、チームをリトルリーグ世界大会の優勝に導いた。しかし、就任当初は小学部の部員が8人しかいなかったという。亀山氏が指導を始める前、常態化していたスパルタ指導が原因だった。「プロと同じように話しても伝わらない。かみ砕いて、子どもたちの頭にインプットされるワードにしないと」。当時はまだ20代。細かい動きを実践して教えられる若さだったこともあり、懇切丁寧な指導を行うことができた。