【今、伝えたいこと】競泳選手が水を失った 苦境に立つ後輩へ、寺川綾「頑張ってくださいと言うのは嫌」
東京五輪が与える1年の“ズレ”、コロナに「一番大事な時間を奪われてしまった」
競泳選手に与えるコロナの影響は、コンディションだけではない。東京五輪・パラリンピックの1年延期。人生を懸けて追い続けた目標が先延ばしになった。日本代表の選考会となる4月上旬の日本選手権は直前に実施不可能と発表され、12月開催に。21年4月の同大会が東京五輪の選考会となる。目標を失ったわけではないが、1年の“ズレ”の大きさは計り知れない。寺川は「私も経験したことがないのでわかりませんが」と前置きした上でこう語った。
「選手は驚くほど練習をしてきていると思うんですよ。4年に一度のその瞬間に全てを懸けてやってきている。ましてやオリンピックでメダル争いができる選手ではなく、代表になるために選考会に向かってきていた選手は(4月の日本選手権までに)おそらく今までの人生で一番厳しいトレーニングを積んできたと思うんです。だから、また一から同じことをやり直せるかというと、気持ちをリセットするのにかなり時間が必要だと思います」
瀬戸は東京五輪の延期決定から約2週間後、インスタグラムを更新した。「来年に向けての気持ちの整理ができず、今までコメントを出せずにいました」。覚悟を持っていたからこそ、前向きな発言ができず「延期が決まった時は喪失感で抜け殻になりました」と吐露。完全に気持ちを切り替えられない複雑な心境を明かしていた。寺川はこういった後輩たちの心中を想像する。
「切り替えられないというのがみんなの本音だと思います。そんな簡単なものではない。悔しいよね、悲しいよね、どうしようか、という言葉で済まされるようなことでもないと思うんです。本当にその競技の一番大事な瞬間を奪われてしまっている状況。なんとか気持ちを保っているのだと思います。
(競技生活で味わった)今までの壁とは比べものにならないもの。過去の経験を生かして乗り越えるとか、そういうレベルではないと思いますが、いかにオリンピックに向かっていく気持ちを強く持てるか。前向きに、無理やりにでももっていくことが一番大事ではないかと思います。
かなりの覚悟が必要ですが、オリンピックに出られる選手や、代表に選ばれるか選ばれないかギリギリの選手は、人に何かを言われてやらされている選手ではありません。自分で出たくて、自分で戦いたくて、その場に向かっています。やはりそういう選手は、今回の状況を乗り越える心の力を必ず持っていると思います。まず立て直して、またトレーニングできる状況になれば、しっかりと切り替えてやってくれるのではないかと思います」
競技に人生を懸けたアスリートにも襲い掛かっている「国難」という巨大な壁。前向きになる方法はあるのだろうか。
現役時代、寺川には前向きになれた瞬間があった。04年アテネ五輪の代表選考会。五輪初出場を目指す19歳は、日の丸を背負えるかどうかの分岐点にいた。「もう無理なんじゃないかなってずっと思っていました」。決勝に進出したが、弱気になっていた。準決勝から決勝までの時間。そばには、自分以上に自分のことを考えてくれる人たちがいた。
「トレーナーさんがマッサージしながらいろんなことを話してくれたり、周りのスタッフたちが本当に凄く応援してくれたりしていた。一番頑張らないといけないのは自分なのに、みんながこれだけ考えて声をかけてくれたことに対して凄く失礼なんじゃないかなとその時に思いました。
自分のために泳ぐのはもちろんですが、ギリギリまで諦めずに応援し続けてくれた人たちに対して、自分の結果でみんなを喜ばせることが一番やりたかったこと。そういう結果を自分でつかみ取りたいと思いました。気づいたのは本当にギリギリ。選考会の決勝前にそう思いました。だから、自分がしっかり前を向いてやらなきゃダメなんだなって。アテネの時は周りの人に励まされて気づきました」