福士加代子、一山麻緒を輝かせた「裏方の経験」 五輪に5度導いた名将が貫くこだわり
選手を五輪に導いても「勝たせてあげられていない」
永山コーチは2000年、ワコールで指導者の道を歩み始めた。その時から今に至るまで、ブレずに貫いてきたことがある。
「どうやったら勝てるのだろうということしか考えていませんでした。1等賞にこだわっていたので、勝てない以上は何かを変えていかないといけない。マラソンのメニューも同じことはやりたくなかったので、毎回、基本メニューをアレンジして練習メニューを作り上げていきました。ただ、それを選手に課すだけではダメです。選手のパフォーマンスをきっちりと結果につなげるためには、選手以上に指導者は学び、追求して自分のスキルを磨いていかないといけないんです」
永山コーチは、福士と一山を五輪に出場させた。国内の選考レースを勝ち抜き、五輪の代表選手を仕上げていくこと自体大変なことだが、その視線は国内を見ていない。
「日本で勝って、日本代表の3枠に入って、五輪に行かせることはできますし、これまでやってきました。でも、世界最高峰の舞台で勝たせてあげられていない。結果が出ていないので、それまでのプランやトレーニングを見直すのは当然のことで、それは今も続いています」
かつてやったことがない練習メニューを考え、新たな経験をさせることで選手の内なる壁を打破していく。高地トレーニングをしたり、欧州に転戦し、強い選手と戦って打ちのめされる経験をさせたりすることもある。それは、すべて選手を成長させ、五輪で結果を出すためのものだ。五輪は出場するだけでは意味がない。そこで勝ってこそという意識は、瀬古利彦を指導した中村清監督、高橋尚子を指導した小出義雄監督に通じるところがある。
「ワコールで私の前の藤田(信之)監督をはじめ、小出監督ら先輩の指導者はメダルに対してすごくこだわりを持たれて練習を考え、実践してこられた。大会前には、本当にこれだけのことをやったんだというものをつかみ取ってこられたからこそ、選手にメダルをプレゼントできた。その部分では私は、まだまだだと思っています」
永山コーチの愚直で真摯な競技への姿勢、そして選手への熱い思いが伝わってくる。指導者が一つの成功事例を何年も踏襲し、同じ絵を踏み続けるのは退化でしかない。難しいのは成功事例の良いところを抽出し、それを次の新しい指導や練習にいかに結び付けていけるかというところだろう。福士や一山が強くなったのは、そこを丁寧にやり続けてきた永山コーチの、指導者としての「こだわり」があったからにほかならない。
(佐藤 俊 / Shun Sato)