便箋4、5枚で「お前なんて早く引退しろ」 鈴木明子が考える誹謗中傷からの心の守り方
便箋4~5枚に書かれていた「おまえなんて早く引退しろ」
私は「きっと優勝します、逆転します、という言葉が欲しいんだろうなぁ」と感じてはいても、順位についてはあまりコメントせず、「順位よりも、今までやってきた全てを発揮できるようにパフォーマンスに集中したい」という風に答えていました。言葉にすればプレッシャーになるとわかっていたからです。それを冷静に判断できたのは、テレビのインタビューをよく受けるようになった頃はもう、20代だったことが大きかったと思います。
それから、私の競技選手だった頃は、今ほどインターネットから流れてくる情報量も多くなく、SNSも浸透していませんでした。自分に対する世間からの言葉を日常的に目にしなかったことは、今思うと救いです。
当時は、観ている方からの厳しい言葉は、手紙で届きました。ときには「スケートをやめてしまえ」という類のものもあり、そういった手紙を読んだときは自分一人では心の整理がつかず、コーチや母に伝え、気持ちを吐き出していました。
ちょうど、競技引退か、続行かを悩んでいた頃も、便箋に4枚も5枚も「おまえなんて早く引退しろ」という言葉が続く手紙を受け取ったことがあります。
そのときもコーチたちに「どうして私のことを何も知らない人に、辞める時期を決められなくちゃいけないの? 私の辞め時は私が決めるし、まだ頑張って競技続けるわよ!」と気持ちをぶつけました。すると、「今まで引退の時期を決められないって言っていたのにね。この人は明子の真のファンかもしれないよ」とみんな大笑い。周りの人たちが笑い飛ばしてくれたことで、本当に救われました。
多分、私だけでなく母やコーチたちも、それらの手紙を読んでショックだったと思います。でも、一切私には見せず、笑ってくれた。「あなたが頑張っていることはわかっているよ」と言ってくれる人たち、「私にはこれだけの味方がいるんだから、それで十分」と思わせてくれる人たちの中にいれたことに、今もすごく感謝しています。
また、私自身、「すごくイヤな気持ちだ」と周囲に言えたこともよかったと思います。恐らく、摂食障害を患う以前の私だったら、完璧主義で、人に弱さを見せるような言葉を一切、口にできなかった。きっと、悔しいとか傷ついたとかいう気持ちを、自分の中に溜め込んでしまったと思います。
私は決して強くなれたのではありません。周りが守って支えてくれたからこそ、弱い自分を受け入れたまま立っていられた、と感じています。