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便箋4、5枚で「お前なんて早く引退しろ」 鈴木明子が考える誹謗中傷からの心の守り方

ソチ五輪の会見に出席した鈴木さん(左)と村上佳菜子さん、浅田真央さん【写真:Getty Images】
ソチ五輪の会見に出席した鈴木さん(左)と村上佳菜子さん、浅田真央さん【写真:Getty Images】

便箋4~5枚に書かれていた「おまえなんて早く引退しろ」

 私は「きっと優勝します、逆転します、という言葉が欲しいんだろうなぁ」と感じてはいても、順位についてはあまりコメントせず、「順位よりも、今までやってきた全てを発揮できるようにパフォーマンスに集中したい」という風に答えていました。言葉にすればプレッシャーになるとわかっていたからです。それを冷静に判断できたのは、テレビのインタビューをよく受けるようになった頃はもう、20代だったことが大きかったと思います。

 それから、私の競技選手だった頃は、今ほどインターネットから流れてくる情報量も多くなく、SNSも浸透していませんでした。自分に対する世間からの言葉を日常的に目にしなかったことは、今思うと救いです。

 当時は、観ている方からの厳しい言葉は、手紙で届きました。ときには「スケートをやめてしまえ」という類のものもあり、そういった手紙を読んだときは自分一人では心の整理がつかず、コーチや母に伝え、気持ちを吐き出していました。

 ちょうど、競技引退か、続行かを悩んでいた頃も、便箋に4枚も5枚も「おまえなんて早く引退しろ」という言葉が続く手紙を受け取ったことがあります。

 そのときもコーチたちに「どうして私のことを何も知らない人に、辞める時期を決められなくちゃいけないの? 私の辞め時は私が決めるし、まだ頑張って競技続けるわよ!」と気持ちをぶつけました。すると、「今まで引退の時期を決められないって言っていたのにね。この人は明子の真のファンかもしれないよ」とみんな大笑い。周りの人たちが笑い飛ばしてくれたことで、本当に救われました。

 多分、私だけでなく母やコーチたちも、それらの手紙を読んでショックだったと思います。でも、一切私には見せず、笑ってくれた。「あなたが頑張っていることはわかっているよ」と言ってくれる人たち、「私にはこれだけの味方がいるんだから、それで十分」と思わせてくれる人たちの中にいれたことに、今もすごく感謝しています。

 また、私自身、「すごくイヤな気持ちだ」と周囲に言えたこともよかったと思います。恐らく、摂食障害を患う以前の私だったら、完璧主義で、人に弱さを見せるような言葉を一切、口にできなかった。きっと、悔しいとか傷ついたとかいう気持ちを、自分の中に溜め込んでしまったと思います。

 私は決して強くなれたのではありません。周りが守って支えてくれたからこそ、弱い自分を受け入れたまま立っていられた、と感じています。

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鈴木 明子

THE ANSWERスペシャリスト プロフィギュアスケーター

1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、00年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。10年バンクーバー五輪8位入賞。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。

長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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