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「スポーツで日本を救う」 忍耐と努力でなく“楽しさ”を…地域クラブ創設者が抱く究極の夢

幸野健一の究極の夢は、スポーツで日本を救うことだ。逆に窮地が迫り来る日本を救えるのは、スポーツしかないと考えている。

幸野健一の究極の夢は、スポーツで日本を救うことだ【写真:編集部】
幸野健一の究極の夢は、スポーツで日本を救うことだ【写真:編集部】

【幸野健一が挑む日本のスポーツ文化改革|最終回】スポーツを楽しむための環境作りが健康と経済効果へ波及

 幸野健一の究極の夢は、スポーツで日本を救うことだ。逆に窮地が迫り来る日本を救えるのは、スポーツしかないと考えている。

「現状のままだと約3年後には国民健康保険が破綻します。この国を救うためには、もはやスポーツを使うしかない。唯一の手段がスポーツで健康を取り戻し、医療費や薬代を削減することだと思うんです」

 現在、幸野が代表を務めるFC市川GUNNERSは、人工芝のフルサイズのピッチを専有し、隣にはテニスコートが12面整備され、3年後にはアリーナや球技場も創設されて地域総合型スポーツ施設が誕生する予定だ。

「今、小さい頃から好きだったスポーツを続けている大人は100人に1人程度です。本来なら遊びであるはずのスポーツなのに、部活で修業のようにやらせたりするから途中で嫌なことがあったりして辞めてしまった人が多い。でも、もし近所にテニスコートができたら、もう一度やってみようか、と考えますよね。あるいはサッカー経験者に10キロ走れと言ってもきっと嫌がりますが、ゲームができる環境があればまたボールを蹴るかもしれない。楽しく90分間の試合ができれば、10キロ近く走ってしまう。僕がこうしてスポーツ施設を作るのは、多くの人たちに昔感じていた楽しさを取り戻してあげたいからなんです」

 スポーツを楽しむ人が増えれば、健康回復はもちろん経済効果にも波及していく。

「大好きなスポーツだから夢中になるし、終わって体重計に乗ればしっかりと痩せている。さらに昔バスケットやテニスをしていた人の半分でもコートに戻って来てくれたら、シューズやラケットなどが売れて大きなマーケットになる。結局スポーツをまったく不要だと思っている人は、ほとんどいないんです。健康のためにも何かやらなきゃいけない、とは思っているけど、周りに環境がない」

 Jリーグ創設時には、鹿島アントラーズの起ち上げに関わった。

「最初は人口6万人台の鹿嶋市に専用スタジアムなんて、馬鹿げていると言われた。でも今では鹿島の名は全国に浸透している。隣の神栖市は、鹿嶋市より人口が3万人近く多いけれど、県外ではまったく知られていません。市川市の人口は47万人です。千葉市の98万人には及びませんが、43万人の柏市よりは多い。ポテンシャルは十分だと思います」

自称“サッカー人間”、年間50試合プレーし「生涯スポーツ」を実践

 先日、市川SCとの業務提携を発表し、幸野はGM(ゼネラルマネージャー)に就任した。将来はJリーグへの参入も視野に入れている。ただし現在はまだ千葉県リーグ2部に属しており、J3でも5度の昇格を繰り返さなければならない。

「隣の船橋市を本拠地とする千葉ジェッツ(バスケット)が成長し、トップリーグのチームが人を魅きつけていくのを目の当たりにして刺激を受けました。でもJ参戦というのは、街の人たちが望む最終形としてそういう日が来ればいいということ。焦って上げていこうとは思いません。現状でクラブは育成だけで収益を上げているし、トップチームを作っても移動のある関東リーグに昇格するまでコストはかからない。取り敢えずここで育ったレベルの高い選手たちも、いずれは海外に出ていくだろうし、彼らが帰って来られる場所を用意しておいてあげたいという想いもありました」

 むしろ幸野が最優先に願うのは、スポーツを楽しむ街が元気になっていく。そんな見本を示して、日本全体の牽引車となることだ。

「スポーツ庁ができてスポーツ基本法が制定された背景には、部活を変えていかなければいけないという流れがある。おそらく今後数年間で部活は変わっていくはず。やはりスポーツは忍耐と努力ではなく、『楽しい!』が先に来るべきだと思いますよ」

 自称“サッカー人間”は、行動力の塊で典型的な率先垂範型。生涯スポーツの実践者として、今でも年間50試合はピッチに立っている。(文中敬称略)

[プロフィール]
幸野健一(こうの・けんいち)

1961年9月25日生まれ。7歳よりサッカーを始め、17歳の時にイングランドへ渡りプレーした。現在は育成を中心にサッカーに関わる課題解決をはかる「サッカー・コンサルタント」として活動。2014年に「アーセナルサッカースクール市川」を開校させ、代表に就任。19年に「FC市川GUNNERS」にチーム名変更、20年3月から業務提携した市川SCのGMに就任した。息子の志有人はJFAアカデミー福島1期生のプロサッカー選手で、09年U-17W杯に出場した。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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