夏の甲子園中止から2年 コロナに夢断たれた20歳発起人、1000人巻き込み目指す“開催”
“幻”となった甲子園球児の戦いを、2年越しに実現させるプロジェクトが動き始めている。武蔵野大に通う2年生・大武優斗さんは、新型コロナウイルスの影響で最後の夏を奪われた1人。2020年に各都道府県で行われた独自大会の優勝チームを集め、甲子園で試合を開催するべく奮闘している。
2020年夏の甲子園中止、当時の球児たちを集めた大会開催を目指す
“幻”となった甲子園球児の戦いを、2年越しに実現させるプロジェクトが動き始めている。武蔵野大に通う2年生・大武優斗さんは、新型コロナウイルスの影響で最後の夏を奪われた1人。2020年に各都道府県で行われた独自大会の優勝チームを集め、甲子園で試合を開催するべく奮闘している。
既に46チームから参加の意思を伝えられており、今後は甲子園球場側との交渉、クラウドファウンディングによる資金調達を行う予定。卒業後の今もある高校野球への心残り、プロジェクトを始めるに至った経緯など、発起人が抱く熱い思いを聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)
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人生の目標を奪われたあの日。今でも日付まで鮮明に覚えている。
「2020年5月20日。自分の心が折れて、野球への熱がなくなってしまいました。正直、ニュースが本当なのか疑いがあったし、信じ切れていない状態で学校に行って……監督さんの話を聞いて、そこで本当に甲子園がないんだと理解しました」
東京・城西大城西高3年生だった大武さんは、自宅待機中に見たテレビのニュース報道に愕然とした。戦後初、夏の甲子園中止。信じたくない気持ちで開いたツイッターでも、トレンドに上がるなど大きな話題になっていた。
中学時代はクラブチームで全国16強入り。高校では膝の怪我でなかなか試合に出られずにいたが、高2の秋が終わってようやくセンターのポジションを掴んだ。しかし、年明けから日本列島にも容赦なく影を落としたコロナ禍により、最後の夏は挑むチャンスすら用意されなかった。
「自分は何のために高校野球をやってきたんだろう」。各都道府県で独自大会の開催は決まったが、どうしても普段の熱量では練習に打ち込めない。チームは東東京ベスト16まで勝ち進んだが、引退してもモヤモヤは晴れなかった。甲子園出場は育ててくれた両親の悲願でもあり、親孝行できなかったのは大きな心残りになった。
当初は大学でも野球を続けるつもりだったが、思わぬ形で高校野球を終えたことで将来に対する考えも変わった。
「甲子園中止で、何もできない不甲斐なさを自分自身に感じました。だから、何かしら影響力を持った人間になりたいと考えたんです」
進路を考える中で起業・経営に興味を抱き、武蔵野大が2021年からアントレプレナーシップ学部を新設することを知った。「自分の思考と行動で、世界をより良い場所にできると本気で信じる人を増やす」ことをミッションに、教員陣は全員が起業家などの実務家教員。座学はほとんどなく、実践を重視した学部だ。
「野球でもプロ野球選手に教わってみたいって思うのと同じで、教わるならプロの起業家に教えてもらいたいと思いました」