批判覚悟で発言してきた陸上・新谷仁美 「真似できない」と野口みずきすら驚く言葉の力
「ズバッと言える」背景に社会人経験「どれだけのお金をもらって陸上をできるのか」
周囲に配慮しながら意見を述べられる背景として、野口さんは社会人経験を挙げた。新谷は14年1月に故障や健康上の理由で一度引退。4年間のOL生活を経て18年6月のレースで現役復帰した。「応援してくれる人のために」という想いは、復帰した時からずっと持ち続けてきた。
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トラックから離れた4年間が、競技者としての成長を後押ししたと野口さんは感じている。
「一度競技を辞めたら戻ってくる時に少し恥ずかしさがあると思うんです。プライドを捨てないと戻ってこられない。いろんなものを捨てて戻ってきたのだと思います。朝9時から夕方5時までしっかりと働いて、自分がどれだけのお金をいただきながら好きな陸上競技をやらせてもらえていたのか、いろいろ経験した中でわかったと思うんですよね。復帰してからそういうものを爆発的に出せたのではないでしょうか」
野口さんも高校卒業後に強豪・ワコールに入社したが、1年半で退社。4か月間、ハローワークに通って雇用保険の求職者給付を受け、“無職”のまま競技を続けた。至れり尽くせりだった実業団の寮生活から、食事、洗濯など全てを自分でこなす生活。「私は4か月で(4年の新谷と)全く規模が違いますが、プロ意識が芽生えた。自分の中の甘えた気持ちを捨てられたいい機会」と貴重な時間だった。
新谷と言えば、レース直前の不安を抱えまくった表情も見逃せない。ファンにはお馴染みのシーン。スタートラインに立つ時、見る側も胸を締め付けられそうなほど表情に不安を滲ませる。野口さんは「凄く緊張していますよね」と苦笑いし、一緒に過ごした現役時代を思い返した。
13年世界陸上では新谷が1万メートルで、野口さんはマラソンで代表入りした。レースに臨む当時25歳の新谷を見た時、「大丈夫かなぁ」と心配になるほど「過度に緊張するタイプ」だったという。
「大きく明確な目標に向かってやっていくことに関してはしっかりしているのですが、レースになると『強い気持ちはどこに行ってしまったんだ?』というぐらい緊張していました。福士加代子選手もいて『どうしよう、どうしよう』と、いろんな人に泣きそうな顔を見せていた。でも、スタートラインに立つと切り替わっている。結果的には5位入賞。『あれ?』ってこっちが心配して損しちゃうくらい(笑)。彼女の中ではいい緊張なのだと思います。自分自身をよく知っているからできることですね」
野口さん自身は「レース当日の朝はある程度緊張する。逃げ出したいと思う時はあった」と不安もあったが「どちらかといえば楽しむタイプ。レースの1週間ぐらい前から早く走りたくて仕方がない。スタートラインに立ったら『このメンバーで私が一番練習してきた』という気持ちでした」と本番に臨んでいたという。