女性の選択に残る「不安、罪悪感、怖さ」 ラストランの日、寺田明日香が口にした「私が競技をやっていた意味」

「それが一番うれしかった」救われた愛娘の言葉とは
2度目の陸上人生は母としての挑戦。葛藤がなかったわけではない。第一線の競技生活を終える今、改めて振り返る。
本当にしんどかった重い生理痛 婦人科医に相談、服用し始めたピルが私には合った――サッカー・仲田歩夢選手【私とカラダ】
「言い方が難しいですね……」と前置きしたうえで「ライフステージが進んでいく中で、結婚して子どもをほしいと思った時の不安、子どもが生まれてからも自分が好きなことをする罪悪感、安定を捨ててチャレンジする怖さを女性は持ちやすいのかなと思う」と思いを明かす。
簡単に割り切れない感情を抱きながらも、100分の1秒を争う世界で戦ってきた。
「色々なステージでチャレンジをした時に応援してくれる。そういう人を作れるような生き方をしたいと思ってきた。その結果、たくさんの仲間が集まってくれた。偉そうなことは言えないけど、一歩踏み出す勇気、誰かを頼る勇気、仲間を作って頑張る勇気……そういうことを知ってもらえると、私も競技をやっていた意味があるのかなと思います」
小学5年生になった愛娘の果緒ちゃんも陸上競技を始めた。一緒に過ごす日々を大切にしてきたが、犠牲にしてしまった時間もあると自覚している。「犠牲よりも良いところを感じてもらえるように頑張ろうと思って競技を続けてきた」。第一線を退く――。そう伝えた時、返ってきたのは「辞めちゃうの……?」という言葉だった。
「それが一番うれしかったです」
明るく話す声は少しだけ震えていた。
トラックでも欠かせない存在に。9月の東京世界陸上に寺田は出場していない。それでも、大会期間中、その存在は選手たちの身近にあった。
ウォーミングアップで思うように動けず、不安を抱いたまま予選のレースを迎えた福部は「寺田さんは何かを抱えた状態でも、スタートラインに立ったらアスリートの顔になっていた。近くで学んできたので、真似しました」と予選突破につなげ、中島は敗退となった準決勝後、「今季で寺田さんが第一線を退かれる。その大きな穴を埋めることはできないけど、意志は受け継げると思うので、日本のハードラーみんなでもっと世界を目指したい」と意気込んだ。
寺田がトラックに残した思いは、かわいい後輩たちが受け継いでいく。
ラストラン2日後の国スポ最終日。客席に陣取る北海道チームの最前列には旗を振り、仲間に声援を送る寺田の姿があった。誰からも愛された唯一無二のハードラー。その背中はやっぱり偉大だった。
(THE ANSWER編集部・山野邊 佳穂 / Kaho Yamanobe)

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