女性アスリートが陥る摂食障害 体重32kgになった鈴木明子「食べることが怖くなった」
15歳の初経から意識した体形変化、「太ってはいけない」恐怖心から摂食障害に
鈴木さん自身も体形の変化を意識するようになったのは、15歳。きっかけは、初経を迎えたことだった。当時の鈴木さんのベストは160センチ、48キロ。しかし、50キロに近づくときもあった。
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「それでも私は、親がしっかり食事を整えてくれたので、大きな体重の変化はありませんでした。ただ、『女子選手は生理が始まると難しくなる』『あの子は太ったから跳べないんだ』という言葉は常日頃耳にした。実際、体重増加でなかなかよい成績が出せず、苦しむ先輩選手も目の当たりにしていたため、『太ってはいけない』という恐怖心と『自己管理をしっかりしなきゃ』という責任感が大きくなっていった」
スケートを上達させるためという体重管理の本来の目的から、いつの間にか「体重を管理すること」が目的になった。この強い責任感が、後に摂食障害を発症する要因になる。
「1、2キロ増えても次の練習までには調整して臨んだので、いつも『鈴木さんは偉いね、ちゃんと体重を管理していて』と周囲から褒められていました。そのことで『鈴木明子という選手は、完璧に体形を維持できなければいけないんだ』と、勝手にプレッシャーを感じ、変化をすることをすごく恐れるようになったんです」
さらに、「(体重は)47キロにしておきなさい」という指導者の一言が追い打ちをかける。「あと1キロ減らさないと」という想いは心の棘となり、次第に根深く根を張っていく。そして、大学に進学を機に一人暮らしを始めると、いよいよ「食べることが怖くなってしまった」(鈴木さん)。
最初に「脂質は太る」と脂身のある肉を排除。次の段階は「油もダメ」。ドレッシングはノンオイル、油で調理した野菜も食べなくなり、炒め野菜が入ったスープさえも怖かった、という。口にできたのは、豆腐、野菜、ヨーグルト、果物。果物でもバナナは「糖質が多い」と口にできなかった。
「食べられない」以外の症状も現れた。頭では「何か食べなきゃダメだ」とわかっている。しかし、スーパーに行くものの、店内をただ、グルグルと歩き続けた。
「どうしよう、何を食べればいいのだろう? 何が食べられるのだろう? そう考えながら歩くだけで、お腹がいっぱいになるんですね。太るのが怖いから、食品のカロリーなども全部頭に入っていて、『これは何カロリーあって、脂質はこのぐらいで……』とすべて数字で見てしまう。結局、同じものしか食べられないんです」
大学生活の1か月で、48キロあった体重は40キロに落ちた。38キロまで落ちたとき、見かねた大学側から自宅での静養を提案される。
「この病気の怖いところは、『私は拒食症かもしれない』と不安に思っているのに、体重が減っていると、『大丈夫、私は頑張れている』というプラスの評価を下してしまうことです。
数字の減少は本人にとってはわかりやすい『成果』です。毎日が不安だった私は、手っ取り早く評価が得られるものに、執着してしまった。今なら冷静に分析できますが、当時は、スケートがうまくなるどころか、体が弱り、滑れなくなっていることにも気づけなかった」
実家に戻り、精神科の治療も受けた。しかし、「お願いだから食べて」と懇願する母の姿に、親を悲しませる自分をさらに責めるようになったという。大学も行けない、起き上がることもできない。大好きなスケートもできない。
「私は何のために生きているのだろう」。食べられない日々は続き、6月下旬、体重はついに、32キロまで落ちた。
起き上がれないほど衰弱しきった鈴木さんが回復するきっかけになったのは、「食べられるものから、食べればいいわよ」という母親の言葉だった。
「『口から栄養が摂れているんだから大丈夫! 食べられているじゃない!』という母親の言葉を聞き、あぁ、普通に食べることができず人に迷惑しかかけていない私でも、生きてていいんだと初めて思えました。
それまでの私は、頑張ることで人に認めてもらいたかったし、子供の頃からずっと、いい子でいなきゃ、自慢の娘でいなくては、と強く思っていました。でも、母の愛情を感じ、『もう頑張らなくていいんだ』と自分自身を許すことができた。それが、回復のきっかけです」
「頑張らなくていい」という気づきは「人に頼ってもいいんだ」という気づきにもつながった。