体重32kg、出せなかったSOS 鈴木明子が語る摂食障害の怖さ「私の経験役に立てて」
選手、家族から絶えない相談「役に立てることがあれば、いくらでも私を使って」
「私が休んでいる間に、浅田真央さん、安藤美姫さんなど、一緒に頑張ってきた仲間がどんどん活躍し、世間では女子フィギュアスケートの黄金期と言われるようになっていました。テレビや雑誌で見るみんなの姿は、すごく輝いていて『あぁ、私はもう、皆がいるスポットライトが当たる場所にはいけないのかな』と正直、苦しかったですね。
それでも、諦めなかったのは、スケートが好きだったから。スポットライトを浴びたい、トップに行きたいという以上に、戻ってきた気持ちを大切にしようと思いました。マイナスからのスタートでしたが、子どものときに味わった『あ、これ跳べた!』といううれしい気持ちをもう一度味わえて、『なんか、お得じゃん!』と思っていましたね」
復帰に向かう一方で、「鈴木明子は終わった」という声も耳に届いた。冷ややかな評価は「ヒシヒシと感じていた」が、一番近くにいる家族やコーチのおかげで、自分を信じ続けることができた、と話す。
「特にコーチが希望を失わず、“できる”と信じさせてくれた。私一人だったら、絶対に(氷上に戻ることは)できなかったと思います」
月日は流れ、迎えた大学4年のユニバーシアード。鈴木さんは復帰後初めて、国際大会で優勝を飾る。その後の活躍は言うまでもない。バンクーバー五輪、ソチ五輪と2度のオリンピック出場を経て、2014年3月の世界選手権を最後に競技引退。18歳で一度は危ぶまれたスケート人生は29歳まで続き、鈴木さんのスケーティングは引退するその日まで、日本中を魅了し続けた。
さて、現在、鈴木さんは、プロスケーターとしてアイスショーに出演するほか、振付師として後進の育成にも尽力する。10代の苦しい経験を公にしていることで、選手やその家族からの相談は絶えないという。
「私は選手がSOSを上げられる環境を作らなくてはいけない、と考えます。悩みや不安を言葉にしたり、人の話を聞いたりすれば、気持ちの整理がつくことも、突破口が生まれることもあると思います。もしかしたら、『あれ、そんなに深く悩むことじゃなかったな』と気づけるかもしれない。
私自身、当時、もっと人に頼ればよかった、誰かに話を聞いてもらえたらすっきりできたかなと思っています。ならば、私がその役をやればいい。私で良ければ不安や悩みを存分に聞きますし、役に立てることがあれば、どうぞいくらでも私を使って、という気持ちです。
アスリートは孤独。頑張らなきゃと思うほど、すべて自分ひとりで抱えてしまう。でも、人間はそれほど強くないと思うし、だから支え合って生きている。ですから、みんな、もっと自分を大事にしようね、と伝えたい」
若い選手に自己管理をしろというばかりでは難しい。周囲の大人たちは、選手一人ひとりと向き合い、本人たちが抱く競技や人生の目標やビジョンに耳を傾けてほしい、と訴える。
「アスリートであれば、将来よりも今、目の前のことを頑張りたいと思うのは当たり前だと思います。その気持ちを踏まえた上で、指導者や家族は、アスリートとして必要な体や栄養の正しい知識を共有し、本人の見えていない部分を含め、見守ってほしい。
ただただ、痩せろというのではなく、正しい知識を持ち、選手の幸せは何かを第一に考える。そして、競技にどう取り組んでいけばよいかを、一緒に考えていくことが大切だと思います」
■鈴木明子
1985年3月28日、愛知県生まれ。6歳からスケートを始め、2000年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。翌年、初出場となったバンクーバー五輪で8位入賞した。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、講演活動に力を入れている。
(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)