「五輪に行きたいから結婚を諦める」風潮 陸上・寺田明日香が5歳の娘と共に戦う理由
女性の社会活動のロールモデルに「結婚・妊娠で諦めない環境を作りたい」
女性としての幸せも、選手としての幸せも両方追い求めたっていい。寺田はそう信じ、自分が結果を出すことで一つのロールモデルになり、スポーツ界の空気感を変えたいと思っている。
「もちろん、一つのことを続ける大切さは分かっています。職人さんはそういう風に技術を磨いていくので、大切な日本的な文化だと思っているけど、『一つのものを手に入れたいなら、もう一つのものを諦める』みたいな風潮は、私はあまり好きではなくて……。大変だけど、いろんな人に助けをもらい、もちろん、自分が努力をすることでどちらも叶うんだと見せていきたいと思っています。だから『五輪に行きたいから結婚を諦める』という風潮がちょっとでも少なくなっていけばいいと、私は思っています」
女性の社会進出の課題も絡み、大きな問題に見えるが、身近なところから変えていけることもある。例えば、前述のタブー視されがちな部活内恋愛も、その一つ。寺田は「高校生だったら恋愛をすると、そっちに目が向いてしまうと思われがちだけど、彼氏・彼女がいることで競技を頑張れる子もたくさんいるはずじゃないでしょうか」と訴える。
「変に隠して『悪いことをしているんじゃないか』と思わせるのではなく、オープンな関係をコミュニティ全体で見守り、それを力に変えるような雰囲気になっていってほしい」というのが、願いだ。
そんな自身の経験と思考を次世代の後輩たちに話す機会があった。7月6日に登場した「オンラインエール授業」だ。「インハイ.tv」と全国高体連が「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開。インターハイ中止により、目標を失った高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合おうという企画で、現役日本記録保持者のスプリンターが“先生”になった。
持ち前の明るい性格で、技術論からメンタル論まで語り、現役陸上部員たちと笑顔あふれる1時間を過ごした。今回のインタビューを実施したのは、その授業後のこと。女性アスリートのモデルを変えようと奮闘している30歳。自身も引退後は会社員として働いた時期もある。だからこそ、高校生が立派な大人になる10年後、変わっていてほしい未来がある。
「アスリートに限らず、会社で働く女性もキャリアを目指したいから、その時の結婚を諦めたり、ライフステージを考え直したりということがある。その時しかないタイミングもあると思うので、諦めずに進んでいける社会を作っていきたいと思っています。『そんなことができるんだ』と少しでも思ってもらえるように、私自身はアスリートとして結果を含めて見せていきたいです」
1年延期になった東京五輪を目指す自身は「ママアスリート」として実現させたい画があるという。昨秋のラグビーワールドカップ(W杯)をテレビで見ている時、娘がつぶやいた。
「なんで子供ができるの? 果緒もやりたいんだけど」。試合後、選手が子供をグラウンドに引き入れ、一緒に過ごす姿が羨ましかった。昨年の世界陸上では寺田が出場した100メートル障害で優勝したニア・アリ(米国)は子供2人をトラックに入れ、一緒にウイニングランした。それを見た娘は「なんで果緒はできないの? ママが負けたからでしょ」と叱咤された。
「また日本記録を出して私もタイマーの前で写真を撮ってもらいたいんです。日本の大会でできる空気感はなかなかないけど、こじ開けたいし、変えたい。日本選手権とか大きな大会でレース後に『早く、早く!』って客席から呼び寄せて撮れたら最高です」
最後に、結婚・出産を含め、今後のキャリアに悩んでいる後輩の女性アスリートに向け、大切にしてほしいことを1つ挙げてもらった。寺田は少し逡巡した後、「自分一人でやることは諦めた方がいい」と言い、アドバイスを送った。
「絶対に自分一人ではできないので、すべてを請け負うという意識は捨てた方がいい。あとは誰が協力してくれるか。もちろん、一番近いのは旦那さん。その他の家族も含め、どう一緒にやってもらう環境を作れるかを考えてほしい。その環境を作れるのは自分自身だし、自分に魅力を感じてもらうこと。いろんな人たちとのつながりを大事にやっていくことが一番大切だと思います」
女性が結婚・出産しても当たり前に競技を続ける環境になれば、女性アスリートの選手生命が延び、日本スポーツ界の競技力の底上げになるチャンスが生まれる。だからこそ、1人のトップスプリンターの挑戦は価値が大きい。
インタビューも終わり。時間は午後6時を過ぎていた。「この後、家に帰って最初にやらなければいけない家事は何ですか?」と聞くと、途端に母の顔に戻った。
「お風呂(のボタン)をピッとやらなきゃいけない。出る時に忘れてきちゃったので……」
そう明るく笑った寺田明日香の、母として、アスリートとして戦う日々は続く。どんなハードルも1台ずつ、「家族」で越えながら、東京五輪を目指して。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)