“容姿先行”報道との闘い 「空手界のきゃりー」と言われた植草歩が視線を覆した方法
言葉に責任、会見で頼まれた“嘘”が人生を変えた「空手を続ける決意に変わった」
15年の全日本選手権で初優勝。結果を残した。五輪金メダル候補として実力を発揮し、以降は18年まで女子組手単独最多の4連覇。この間の16年に世界選手権を制し、絶対女王と呼ばれるまでになった。名実ともに空手界を代表する選手となり、取材を受ける機会も多い。強さを手に入れた27歳は、現状に感謝している。
「キャラが進んでいたけど、注目されて(取材で)話さないといけない。それまでは自分の考えを人前で話すことがなかったので、自分の言葉にして伝えることって本当に大事だなって思っている。メモや日記とかはあったかもしれないけど、考えをきちんと言葉にすること。
自分は言葉が全てだと思っている。そのおかげで自分は強くなれたと思っているし、責任を持って行動しないといけないし、発言しないといけない。そうなったら行動が絶対に変わってくるので、そこからどんどん強くなったし、変われたと思います」
大学時代、卒業後は引退するつもりだった。22歳で引退、学校の先生になって結婚。五輪で金メダルだなんて頭の片隅にすらない。そんな人生設計を思い描いていたが、7年前に発した自分の“嘘”が人生を大きく動かした。
リオ五輪の実施種目から外れたものの、空手は20年大会の候補入り。2013年、空手界が正式種目入りへ満を持して開いた記者会見に植草は呼ばれた。「空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ」が大勢の報道陣の前に立つ。機運を高めるため、空手界を盛り上げるため、周囲から「五輪優勝」を宣言するようにお願いされたという。
「あの時は『(五輪種目になっても)本当は出ないし。7年後じゃん。無理無理無理、28歳でしょ。そんなに空手やってないよ』と思っていた。その時に『言ってね』って頼まれて。記者会見なんて、あの時はそんなに重要だなんて思っていなかったし、会見に出たこともなかった。それでその会見で『夢の舞台で優勝します』と言ったことが、次の日に新聞の一面になっていた。それで空手を続けなきゃいけないというふうになったんです。
けど、あの一言で自分の人生が変わった。空手を続けるという決意に変わったし、オリンピックも『目指す』ではなくて『道筋を作る人』でいいと思っていたので、そこが自分が『目指す人』に変わった。本当に軽く言った、たった一言で自分を大きく変えられた。あの時の自分が今の自分を見たら、本当に変わったなと思うでしょうね」